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米国製ピアノの魅力1 「安酒場のピアノ」なのか? [ピアノ]

前回に続いて「米国ピアノ」のお話です。

僕が若い頃(1980年代)、すでに国産メーカーのピアノは、
大量生産による「金儲け」を優先するあまり、 「プラスチッキーな音色」しか出せなくなっていました。

その事実に気付いたのは、知り合いのピアノ技術者の工房で、
何十年か以前の(戦前〜和30年代頃までの)ヤマハやディアパソン等の弾いた際、 素晴らしい響板のお陰で、豊かなで深みのある「木の音色」が出せたからです。

それで ピアノの音の「良し悪しき」は「製造技術」ではなく、
「感性」や「経営理念」に起因するのだ、と分かりました。

尤もそんな事が分かったとて何の得にもならず、
なんとか 「木の音色」がする「本物のピアノ」を手に入れたい、
と願いつつもお金がない。

それで比較的安価な「米国製ピアノ」はどうか、と考え、
心斎橋にあったピアノ屋さんを訪れました。

「ホンキートンク」な米国ピアノに違和感あり!

実は後年、僕は「ピアノ業界」に関わるようになり、
そのピアノ屋さんとも付き合いが始まりますが、
そのピアノ屋さん、と言うか大概の店は、
「値引き」や外装だけに拘る「ど素人」には、
粗悪二流品を売りつけて稼ぐ、と言う商法をします。

しかし「ピアノ好き」には結構親切に「真実」を教えてくれ、
長い付き合いが始まる、と言う商法をします。

スタインウェイやベーゼンドルファーが「一流」なのは常識、
ヤマハだって世界一の製造技術による「安心な工業製品」です。

そんな事は教えられなくても知っていますが、
問題は国内外の「一流の下」や「二流」メーカーのもの。

国産の「手造り工芸品」については、良かった例をあまり知りませんが、
欧米製はマイナーメーカーであっても、本当に良い場合があるので、
案外、お買い得なモノに出会う場合もあります。

その辺りの事情について虚真こもごもで教えてくれた訳ですが、
そのピアノ屋さんには「ボルドウィン」という米国製ピアノが沢山並べてありました。

今から思えばKimball もあったかも知れませんが、
「ボルドウィン」に目が行ったのは、僕が崇拝していたオーディオ評論家で
音楽やピアノにも造詣が深い高城重躬さんの「スタインウェイ物語」と言う本で、
紹介されていたので知っていたからです。

高城さんによれば「ボルドウィン」は米国ではスタインウェィに次ぐブランドで、
バーンスタインがカーネギーホールで弾く程の楽器であり、
コニサーと言うレコード・レーベルから出したイアン・モラビッツが
「ボルドウィン」のフルコンで録音したレコードの「録音が素晴らしい」との事。

尤も僕が「ボルドウィン」に注目したのは、
ドイツ製の「グロトリアン・スタインヴィヒ」がアップライトでも
国産小型グランドの倍したのに対し、「ボルドウィン」ならば、
国産小型グランド程度の価格と言う点。

これならば、なんとか手が届きそう。

それで試弾と言う事になりましたが、
出てきた音は外見同様に「西部劇」に出てくる
「ホンキートンク(安酒場の)ピアノ」という感じ。

あまりにも「国産」と違う作りに驚く

高城さんの本によれば、ピアノ購入に際しては、
つい「自慢のレバートリーをパラパラ」と弾く、となりますが、
そうでなく、鍵盤を端から順に鳴らし、音のバラツキ等をチェックせよ、との事。

ところが「ボルドウィン」はバラツキなんてものでない、
隣の鍵盤とで音質がガラッと変わるわ、
鍵盤は波打ってるわ、で到底「合格」には程遠い。

「購入後に調整」すれば、ある程度の部分は好転する、にせよ、
更に問題に思えたのが音色。

何台か並べてあった「ボルドウィン」を片っ端から弾きましたが、
どうも「ホンキートンク」風の音色傾向は変わらない様子。

今でこそ、僕も西部劇に出て来るような「ラグタイム」を弾き、
「ホンキートンク」も面白がれますし、実際、Kimball Piano Salonのリビングにも
「ホンキートンク」としか言いようがないアップライトピアノが転がっています。

しかし 当時、ジャズならビル・エバンスやキース・ジャレット
クラシックならばミケランジェリやルービンシュタイン等の
「クリスタルガラスのような澄んだ音色のピアノ演奏」を理想としていた僕には受け入れ難い。

幾ら何でもこの「ホンキートンク」は自分には合わないな、とガッカリして帰宅。

改めて弾いた自宅のディアパソンの良さに納得。

流石に、設計者大橋幡岩の直弟子の名調律師である川島喜八師が直々に整音して下さった
我が「183Eグランドピアノ」のベルベットとは言えぬにせよ、
レーヨンのような滑らかな音色と深みのあるタッチが宜しい。

と喜びつつ、暫くは弾くと音色に「何かが足りない」。

それで想うところがあり、ジャズピアニスト、ビル・エバンスの
古いレコードである「ムーン・ビームス」や「エブリバディ・ディグス」を
聴き直しまして発見。

家庭用という事に限定すれば、
最良とも言える国産クランドピアノにはなくて
「ボルドウィン」小型アップライトピアノにあったものは何か?

(次回に続く)

リンク
高城重躬氏の名著「スタインウェイ物語」。世界のピアノブランドや奏法の事が分かる名著。

スタインウェイ物語—ピアノのメカニズムと演奏技法

スタインウェイ物語—ピアノのメカニズムと演奏技法

  • 作者: 高城 重躬
  • 出版社/メーカー: インプレス
  • 発売日: 2005/10/01
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)



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音楽教室に米国製グランドピアノを設置した理由 [ピアノ]

僕が大阪梅田で主宰している「キンボール・ピアノ・サロン」には
米国製Kimball のグランドピアノが設置されています。

Kimballは歴史こそスタインウェイより古い、
19世紀半ばにシカゴで創立されたブランドですが、
日本のヤマハやカワイに相当する家庭用のありふれたピアノです。

僕達がヤマハでもなく、スタインウェイでもなく、
Kimballのグランドピアノを練習室用に、
アップライトをリビングルーム用に設置した理由は、
「たまたま入手できた」という事情が大ですが、
「米国ピアノが好きだから日本で普及させたい」
という気持ちも小さくありません。

という訳で「米国ピアノ」の魅力は何か? ヨーロッパ製や国産と比べて良いのか悪いのか?
等の「ピアノの話」を今日は書きましょう。

米国製ピアノはジャズ向け?

僕は商売柄(?)色々なピアノに触れ、所有したり、
手放したりしますが、今、所有しているのは、
グランド、アップライト共に米国製ばかり、
と気づきました。

「米国ピアノ」ブランドに関しての私感を述べれば、
ニューヨーク・スタインウェイのセミコンサート・グランドは 「個人で所有できるピアノ」としては最高の一つでしょう。

KimballやBaldwinのアップライトや小型グランドは、 家庭のリビングやカフェ用として「弾いて最も楽しいピアノ」の一つでしょう。

1920年代にブランドが消滅しましたが、
クナーベやチッカリングの中型グランドピアノは、 ティファニーのアクセサリーのような美しい外装と 「恍惚的な音色」を有する逸品と言えるでしょう。

「米国ピアノの話」で想い出すのが、以前頂いたご質問。

「ジャズ向けのピアノってありますか?」 「ジャズには米国製ピアノが合いますか?」

加えて「米国製ピアノはクラシックには合いませんか? 」
なんて質問もありました。

結論を言えば、最も庶民的なKimballから、
最高級のNYスタインウェイまで、
「米国ピアノ」は「ジャズ」にも合いますが、
「クラシック」にも合います。

そもそも「クラシック」を弾くために、
「米国製」に限らず、ピアノは生まれた訳ですし。

「国産ピアノは音が甲高いから嫌だ」

僕自身、若い頃は、「米国製ピアノではクラシックは弾けないのではないか?」
との誤解がありました。

とは言うもの僕が学生時分〜二十代にかけて、実際に弾く機会を持てたのは、
学校やライブハウス等ののヤマハやカワイ、自宅の「ディアパソン」位のもので、
米国やヨーロッパのピアノを弾く機会は殆どありませでした。

尤も自宅にあった親に買って貰った「ディアパソン183E」という
グランドピアノに僕は充分満足していましたが…。

或いは同じ時代のスタンダードとも言えたヤマハのグランドピアノでG3やC3は
今の時代に流通する「中古」としては「最もお勧めな一台」でしょう。

にも関わらず「他のピアノ」が欲しくなったのは、
お世話になったピアノ技術者の工房で、
同じ「ディアパソン」の昭和30年代に作られた古いグランドピアノを
弾かせて貰ったから。

あまりの「音色の良さ」に驚愕。

或いは実家用に購入したヤマハの戦前のアップライトピアノも
同じ位に深く、柔らかく、美しい音色も感動もの。

蛇足ながら今時の「中古ピアノ市場」では、
グランドでは当時のヤマハG3やディアパソン183E、
アップライトではU3やW109、ディアパソン132が
「お薦めの一台」として出回ります。

僕も友人がその一台を購入した、と言えば
「良い買い物したな」と誉めてやるでしょう。

但し、今となっては一般にはお勧めしませんが、
戦前から昭和30年代位のヤマハや昭和30〜40年代頃のディアパソンには、
世界的に観ても最高の響板である「北海道エゾ松」や良い部材が用いられ、
「本物のピアノ」の条件である「木の音色」がします。

それらと並べて弾くと183EやG3は
「プラスチッキーの音」としか言いようがなく
耳を覆いたくなります。

ドイツの「グロトリアン」に驚嘆した

ところで今僕が愛用するのは偶々「米国製ピアノ」ばかりですが、
ヨーロッパのピアノも好き、と言いますか、最初に感動したのは
ドイツの「グロトリアン・スタインヴィッヒ」と言うブランドのピアノでした。

若い頃の僕は代理店さんの好意で(というか図々しく乗り込んで)、
「グロトリアン」を弾かせて貰い、国産からすれば「別世界の音色」に
「本物のピアノ」とはこう言う音色を指すのだ、と心を奪われました。

「グロトリアン」と「スタインウェイ」はいわば「親戚」で、
19世紀にスタイインウェイ(スタインヴィッヒ)一家が米国に移民する際、
ドイツに残留した長男が磨き上げたブランドで「クララ・シューマンが愛用した」とか。

世界中のコンサート・ホールの「定番」はスタインウェイですが、
アップライトでは「グロトリアン」が世界一と言われていました。

実際に弾くと、小さな、情けないような簡素なボディのアップライトながら、
国産ではグランドピアノでも聴けない、甘く、深く、柔らかく、しかし芯が力強い音が、
栓を抜いたシャンパンの如くフワッーと盛り上がって来たので腰を抜かしました。

問題は価格で、当時国産の小型グランドピアノが70万円位だったのに対し、
グロトリアンのアップライトは150万円と倍の価格。
(今はそれぞれ二、三倍しますが…)

大卒の初任給が10万以下だった当時、とてもではないが、
手が出せない高嶺の花でした。

(次回「米国ピアノの魅力1 」ホンキートンクへ)

リンクは「グロトリアンを愛用したドイツの戦前の巨匠ワルター・ギーゼキングによる
「モーツァルト・ピアノ・ソナタ」集)

Kimball Piano Salon 大阪梅田芸術劇場北向かい(音楽教室&レンタル練習室)
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball/Kimball_Piano_Salon


モーツァルト:ピアノソナタ第14番~第17番、他

モーツァルト:ピアノソナタ第14番~第17番、他

  • アーティスト: ギーゼキング(ワルター),モーツァルト
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2008/12/26
  • メディア: CD



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ナット・キングコールを目指す(?)音楽教室 梅田KImball PS [Kimball Piano Salon]

昨日から僕が大阪梅田で主宰するKimball Piano Salon のホームページを更新した、
と言う話をしています。

KPSは「レンタル練習室」や「音楽教室」「音楽企画」が業務ですが、
四年前に制作した前HPと現在とでは内容面で色々と違っており、
そのズレを修正する事がHP更新の理由です。

加えて前HPにはなかった新たなプロジェクトや企画等も紹介させて頂きますが、
更新の際に若干意識した事は「スマホの小さな画面でも見やすい事」。

僕の原稿がやたら長文でダラダラした話が続く、
というのは本ブログをお読み下さる方ならばご存知の通りです(汗)

しかもKPSのHPとなれば「気合が入るから」と言うよりは、
僕達が造った「チャールストン・ラグ」やら「Lounge Jazz」やらの用語が
多数あり、その説明が必要となります。

或いは音楽教室でのレッスンも「独自のメソッド」を持ちますが、
それは「方法」が変わっている、と言うよりは、「目的」自体が
他とは違う訳で、その辺りの事情も説明したくなります。

結局、HPの文面は比較的シンプルにし、
「補足説明したい部分」はこのブログにリンクさせる、
つまり「詳しい説明」はこのブログで書かせて貰う、と言うスタイルにしました。

尤もタネを明かせば、これから順にベージをチェックし、
「補足したい部分」のリンクを作っていく、と言う所です。

と言う訳で今日はまず表紙の中から「補足したい」お話をお話しましょう。

オスカー・ピーターソン・コール・ポーター・ソングブックについて

Kimball Piano Salonのホームページにアクセスして頂きますと、
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball/Kimball_Piano_Salon

表紙には

•私達について
•ピアノ&ボーカル音楽教室(ジャズ/クラシック)
•レンタル・ピアノ練習室(¥600/1h)
•アーティスト/レスナーの為のプロジェクト
•ご連絡/お問合せ

とありますが、今日は表紙絵に使わせて頂いた
「オスカー・ピーターソンのCD」についてお話ししましょう。

オスカー・ピーターソンは皆さんもご存知の人気ピアニストですが、
「ジャズ史」的に言えば1940年代〜50年代の、
日本では「中間派」と呼ばれるジャズ・スタイルのアーチストとなります。

「中間派」とは1930〜40年代の「スゥイング・ジャズ」と
40年代にチャーリー・パーカー等によって造られた「モダン・ジャズ」の
「中間」という意味らしいです。

但し「中間」には「発展途上」と意味があり、あたかも、
「新しいモダンになり切れなかった中途半端な人達」と言う意味になるので、
おかしい、と思います。

僕が読んだ「ジャズ史」の本によれば、
「ナット・キング・コール・トリオ」スタイルを
「改良」や「前進」させたのがモダンジャズピアノの始祖バド・パウエルとなります。

ナットキングは残念ながら若くして亡くなりましたが、オスカー・ピーターソンと同年代、
かつピアノ・スタイルもほぼ同じ、と言いますか、オスカーが影響を受けた人です。

僕はバド・パウエルの音楽も大好きで、いわゆる「最高傑作」と呼ばれるレコード
「バド・パウエルの芸術」は1948〜52年に録音されましたが、
1940年頃にデビューし一世を風靡した「ナット・キング・コール・トリオは、
1950年代も「時代遅れ」にはならず、
むしろパウエルの数段上の人気を保ちました。

ナット・キング・コールやオスカー・ピーターソン等の「中間派」は、
バド・パウエルのような「モダンジャズ」の影響は強くあります。

つまり「中間」ではなくスゥイングとモダンを「融合」したのが、
彼らのスタイルと捉えるべきでしょう。

尤も皆さんは「スゥイング」と「モダン」はどう違うのか?
と基本を知りたいかと思います。

お答えしますと、両者はサウンドやリズムが異なりますが、
最も異なるのは「用途」。

「スゥイング」は「歌ったり、ダンスできる」に対し、
「モダン」は、それができず「観賞用」と言えます。

「スゥイング」は元々「ダンスホール」の伴奏音楽として発展し、
レストランのように「お客さんにサービスする」と言う役割があります。

対して「モダン」は「ジャズ史の本」によれば、
黒人意識が高まった結果、黒人ジャズメン達は客である白人にサービスする事を拒否し、
「ダンスもできず、一緒に歌えない」音楽を創造します。

この「黒人意識が高まった云々」が真実であるのかどうか不明ですが、
「中間派」改め「融合派」は、「ダンス音楽」と言う形式や「用途」は守りつつ、
ハーモニーやフレーズは「モダン」のを用いる、と言うスタイルになります。

ところで「ビル・エバンス」と言うば1950年代末に登場し、
「バド・パウエルのスタイルを前進させた革新的なジャズピアニスト」ですが、
インタビューによれば、ビルが「お手本」にしたのがナット・キング・コールだとの事。

このビルの発言に対し、ジャズ評論家(著作家)のA氏は
「斬新のハーモニーのビル・エバンスと古いナット・キングとが結びつかない」
と述べられました。

しかし「聴く耳」を持てば、ナットのハーモニーも、ビルと同じ位に「革新的」であり、
ピアノ奏法に関してもある意味、パウエルよりも「斬新的」と言えます。

A氏に限らず、大勢の米国人にとってナット・キング・コールの音楽は、
「ダンスもできるし、聴きやすい」が故にかえって「革新性」に注意を払いませんが、
やはり今もって大部分の人が越えれない高い壁を越した偉大なアーティストと言えましょう。

これらの「聴きやすく」かつ「革新的」だったナット・キング・コールやオスカー・ピーターソン
の音楽に話を続けたいのですが、今日は時間の関係で切り上げ。

僕達KPSにとっての「ジャズ」とは、このナットキングコールのピアノや
ドリス・ディのようなボーカルを指す、と言う事をご理解頂ければ嬉しいです、
と書いて今日は終わっておきますね。

音楽やレッスンの話は次の機械に!


ザ・コール・ポーター・ソング・ブック

ザ・コール・ポーター・ソング・ブック

  • アーティスト: オスカー・ピーターソン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2016/07/27
  • メディア: CD



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ホームページを更新しました。大阪梅田Kimball Piano Salon [Kimball Piano Salon]

皆さん、こんにちわ。久しぶりに「Kimball Piano Salon」のホームページを更新しました。

KPSは僕が大阪梅田で主宰するピアノ練習室、音楽室、音楽プロジェクトの総称ですが、
二年間、HPを更新しなかった主因は「僕の怠慢(汗)」。

もう一つは「更新すべき内容」が変動し続けた事。

「更新する必要」が生じたのは、「HP(ホームページ)に書かれている内容」と
実際にKPSでやっている事にズレが生じたから。

「ズレ」と言っても「HPでは安く設定されたレンタル料金」が
「実際に使用すると高い使用料を請求された」等のボッタクリ的な事ではなく、
「音楽教室」のレッスン内容や教材、方向性が、HPの制作時と変わってきた、
という意味です。

尤も新しい教材やメソッドが導入された、という事も多少はありますが、
そもそも以前のHP製作時点で「6パターン」くらいのプログラム(教材やメソッド)がありました。

但しHPにはスペースの都合で2パターンくらいしか書けなかったのですが、
実際のレッスンは当時は書かなかったパターンを用いる事が多く、
「HPと実際にズレが生じた」という訳です。

僕のピアノスタイルの変動

Kimball Piano Salonは、音楽教室も運営していますが、
「レーベル」と呼べる程、カッコいいものではありませんが、
「音楽事務所」的な役割もあり、アーティストの育成や活動支援を行います。

と言っても代表である僕自身が、その中心にある、
という極めて小さな事務所に過ぎませんが、
その為に僕自身がその時々でやっている
音楽の「志向」=「その時のKPSの音楽志向」となります。

問題は僕の「音楽志向」とやらが、その時々で変わる事。

これは、僕の気が変わる、というよりは、
一緒に演奏する奏者やシンガーの音楽性に合わせて
僕もスタイルを変えねばならない事が理由です。

ところで僕が「ジャズピアノ」の演奏者である事は確かですが、
「ジャズピアノ」と一口に称しても色々なスタイルがある、
という話はこのサイトでも何度もさせて貰いました。

但し、これも本ブログに何度か書きましたが、ウチでやるのは、
次の三種類となります。

1,〜1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」

2,1930〜40年代の「スゥイング・ジャズ」

3,1950〜60年代の「モダン・スゥイング」や「バップ」

僕達は1と2を統合し「チャールストン・ラグ」と名付け、
或いは「ビンテージ・スゥィング」と称し、
ピアノのエロール・ガーナーやオスカー・ピーターソンのような
「モダン・スゥイング」系のジャズピアノや、
’50年代のフランク・シナトラやドリス・ディのような
「ジャズ系ポピュラー」を展開する事にしました。

それで僕自身「チャールストン・ラグ」と「ビンテージ・スゥイング」
の二系統での演奏をする訳ですが、ボーカルはともかく、
この二系統でのピアノ演奏の「両立」がどうもできなくて困りました。

元々の僕は1950〜60年代の日本では「モダンスウィング」と呼ばれる「ジャズ」を
習得してきましたが、仕事の都合上、もっと「歌があり」「ダンスもできる」スタイルである
「モダン・スゥイング」を自分のスタイルとして選択しました。

別にオスカー・ピーターソンみたいに弾けるわけでも、
コピーした訳でもありませんが、
オスカーをお手本に勉強したきた訳です。

ところがオスカー自身がお手本にした、
もう一世代古い「スゥイング・ジャズ」のピアノ、
アート・テイタムやテディ・ウィルソン等の「ストライド・ピアノ」は
「モダンジャズ」とはまるで異なる難しさがあり、正直、
当初はまるで歯が立ちませんでした。

というか、未だに大してできる訳ではありませんが…

それでも四年も五年も勉強(練習や分析)を続ける内に、
思いっきりシンプルにした形での演奏が可能となり、
このスタイルでの演奏を楽しめるようになりました。

「モダン・スゥイング」という呼び方も実は僕独自のものですが、
「モダン・ジャズ」と「スゥイング・ジャズ」の中間、と言いますか、
「スゥイング」の特徴である「歌える」「踊れる」というフォーマットの上に、
「モダン」のハーモニーやフレーズを導入したスタイルを指しています。

つまり「スゥイング=ストライドピアノ」で身を立てる(?)事を志さないにせよ、
「モダン・スゥイング」の「基礎」として「ストライドピアノ」を習得すべき、
という事は痛感しました。

逆に「モダンジャズ」の勉強(練習)もしなければならない訳ですが、
どうも「ストライドピアノ」と「モダンジャズ」の「両立」が僕には困難で、
その時々でいずれかに傾いてしまいます。

それ故に、ホームページ更新に際し、打ち出したい「音楽スタイル」が微妙に
揺れ動いた訳ですが、結局、元の鞘に戻る、というか、
「モダン・スゥイング」に戻ってしまいました。

という訳で新しいホームページには、

「オスカー・ピーターソン・プレイズ・ナット・キング・コール」
というCDを表紙の絵としてAmazonにリンクの上で使わせて貰いました。

おっと時間ですね。

では勢いに乗って次回は表紙のオスカー・ピーターソンのCDについてご紹介します。

Kimball Piano Salon のホームページは
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball/Kimball_Piano_Salon

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ブクステフーデの音楽に夢中になり休暇が過ぎても帰らなかったバッハ [独断による音楽史]

前回、バッハにとっての「信仰」とは「勤勉に生きる事」で達成される事だったのではないか、
という自説を立てて見ました。

僕はキリスト教については門外漢ですが、バッハが所属した「プロテスタント系教会の基本」
として「勤勉」が述べられてましたから、僕の説は間違っていないでしょう。

「勤勉こそが「信仰の実践」であるならば、
定説とされる「バッハ信仰が厚かったから(勤勉に励んだから)
高いレベルの音楽創造を成し得た」は真実と言えましょう。

但し「勤勉」に「沢山作ればいい」というだけではないのが「音楽の本質」でして、
高みに向かわぬ限り「芸術」としての存在価値はありません。

後世に「絶対に習得しなければならない教則本」と日本で信じられている
膨大な数の「ツェルニー練習曲」を遺したカール・ツェルニーは、
正に「勤勉実直」を絵に描いたような人物で、師であるベートーヴェンの信頼を得ました。

反面「芸術性」はゼロ。従って「ツェルニー練習曲」なぞ学ぶ必要はない、
否、「触れてはならない」駄作と言えましょう。

対してバッハのピアノ作品は初心者向けの小品でも高い品格と芸術性を有し、
学ぶ程に味わいと演奏技術が高まるという逸品揃い。

結局「勤勉でなければならない」が「勤勉なだけでは駄目」なのが芸術というものですね。

ところでバッハには若干18歳にして技能と学識、品格を備え
「アルテンシュタットの教会オルガニス兼指導者」という結構な地位を獲ますが、
教会とは諸事衝突を繰り返した、というのが前回からの話でした。

「教会と衝突した」から「信仰が薄かった」とも言いぬのは、
教会が批判する「バッハは勝手にオルガンを改造して困る」は、
バッハにとっての「神に近づく行為」の前では「教会のまどろこしい手続き」
なぞ飛び去った故、だからです。

という訳では今日は「アルテンシュタット教会と決別した要因」の他のものである
「休暇が過ぎても戻らない」「合唱団がまとまらない」
「オルガン室に女性を連れ込んだ」等についても偏見に囚われずに、
作品を追う事で検証してみましょう。


「休暇の四週間が過ぎても戻らず、三ヶ月後に戻る」

バッハは「アルテンシュタット教会オルガニスト」時代、
「四週間の休暇」を教会に申請し、認められます。

休暇申請自体は問題がなく、その目的が「当時最高のオルガニスト」と言われた
ブクステフーデの元に「学びに行く」とあれば、褒められはこそ何ら責られる事はありません。

問題は四週間の休暇に関わらず、実際にバッハが帰ってきたのが三ヶ月後だったという点。

交通事情が悪かった当時ですから、四週間の休暇の筈が六、七週間に伸びてしまったとて、
許容できる範囲だったにせよ、三ヶ月は前代未聞。

なぜ三ヶ月もかかったのか?

馬車代をケチって400キロの道のりを徒歩で旅行したバッハ

バッハはアルテンシュタットからリューベックまで400kmを徒歩で往復します。
当時、徒歩での旅行は珍しくはなく、少年期「修道院の付属学校」時代に
足腰を鍛えたバッハにとって400㎞の道のりは当然だったかも知れません。

尤も「アルテンシュタットのオルガニスト職」という「平民としては結構な収入と地位」
を得ていたバッハの経済力と身分からすれば、乗合馬車を利用するのが当然。

それを惜しんだはバッハが終生貫く「ケチ」が発露されたからでしょう。

ちなみに「ケチ=質素倹約」も「プロテスタントの教え」だそうですから、
この点でもバッハは「信仰が厚かった」と言えるかも知れませんね。

問題は400キロを徒歩で向かうとなれば、目的地のリューベックまで一週間から十日を要し、
往復二週間から20日が移動に費や去られるので、リューベックに滞在できる日数が
十日から二週間しかなくなる、という点です。

つまりバッハは「ブクステフーデの滞在は二週間もあれば充分」と考えた結果、
合計四週間の休暇を申請したのか、始めから三ヶ月くらい滞在するつもりだったが、
教会が四週間しか認めなかったので、勝手に「休暇延長」したのかは不明ですが、
恐らく旅立つ前は「二週間で充分」と算段したのでしょう。

ではなぜ休暇を過ぎても戻らなかったのか?

バッハを圧倒したブクステフーデの演奏

伝記作者によれば、滞在が延びたのはバッハが「ブクステフーデに気に入られた」からだそうですが、
僕は逆にバッハが「ブクステフーデの音楽を気に入った」からだと思います。

バッハの後年の行動から察するに、いくら「ブクステフーデが気に入った」とて、
自分が気に入らねばサッサと帰ってしまう、のがバッハの常でした。

実際には相思相愛だったようですが、バッハにとって「ブクステフーデの音楽」は
「気に入った」というレベルで済まず「圧倒」された、というべきでしょう。

1770年代初頭に若干18歳(現代の感覚では28歳位)のバッハが、
アルテンシュタット教会から「破格の年棒」で迎えられたのは、
バッハが既に「凄腕のオルガニスト」として評判だったからです。

にも関わらず老ブクステフーデの前でバッハは「実力差に打ち負かされた」。

日本では「バッハの伝記」にしか登場しませんが、
「ブクステフーデの音楽」とはどのようなものだったのか?

ちょっとYou-tubeで聴いてみましょう。

曲はブクステフーデ作曲「シャコンヌホ短調」

https://youtu.be/VhUrdCisQW0

とても美しく、深い音楽です。

僕が驚いたのは「バッハそっくり!」な事。
勿論、バッハが真似(お手本)にした訳ですが。

ついでに同曲をオーケストラに編曲した演奏も。

https://youtu.be/3574_DY545c

これは編曲者のセンスのお陰もありますが、
現代の作曲家であるサミエル・バーバーやシュスタコービッチのような
モダーンな音楽に聴こえます。

「バッハ=初級 vs ブクステフーデ=中上級」の実力差

バッハはブクステフーデの音楽に圧倒されますが、
当時のバッハの実力はどれくらいだったのか?

上記の如くバッハは若干18歳にして、「破格の待遇」でアルテンシュタット教会が
契約したのは既に「凄腕のオルガニスト」として名を馳せていたからです。

当時のオルガニストは作曲家も兼ね、つまり作曲家としてもバッハも第一級だった訳ですが、
「アルテンシュタット時代」の作曲作品は殆ど残っておらず、幾つかの「これは使える」と
バッハ自身が感じた作品は、後年バッハ自身の加筆によって改作され現代に遺ります。

それらを含め遺された作品から察するに、当時のバッハの作曲技能は、
大雑把なイメージで言えば、現代のピアノ教本でもある「子供のバッハ」や
「初めてのバッハ」等の「初心者向け」作品という所でしょう。

これでも当時としては「凄腕」と言われてのは、
当時の一般的なプロテスタント教会の音楽のレベルは、
大雑把なイメージで言えば、
僕達の小学生時代の「音楽の授業」のような感じ。

「足踏みオルガンの伴奏」に合わせ「春の小川」や「埴生の宿」等を
皆で歌う、という程度。

それに比べれば、初心者向けと言えどバッハ作曲の「メヌエット」や「ジーク」等の
「初心者向けピアノ作品」は格調高く、当時としては複雑でモダーンな響に聴こえた筈です。

対して当時のバッハを驚かせた「フクステフーデの音楽」は、
これもイメージになりますが、バッハの中級向けとされる
「インベンション」や「フランス組曲」等あたりのレベル。

ブクステフーデの演奏(自作自演や即興演奏)を聴いたバッハは、
「フーガでやれる事はブクステフーデがやり尽くした」「もうやれる事はない」
とヘナヘナと崩れた、とも言われます。

丁度、19世紀末から20世紀初頭のクラシック作曲家が、
「ワグナーが調性音楽でやれる事は全てやり尽くした」とか、
「ショパンとリストとでピアノ音楽でやれる事はやり尽くした」と絶望したのと同様。

ちなみに「ワグナー以上の事はできない」と考えたシェーンベルクは、
今日、現代音楽と呼ばれる「無調音楽」の音楽体系を創り、
ドビッシーはショパンやリストとはまるで異なる手法のピアノ音楽を造り、
「違う道」へと進みます。

僕が想うに、後年、バッハの息子達が、放蕩の末に野垂れ死した長男のフリーデマンを別にして、
「バッハ風」の音楽スタイルの道は取らず、次世代の「古典派」風の音楽に傾倒したのは、
時代の流行、という事もありましょうが、バロック様式の音楽について父バッハが
「やり尽くした」からやれる事はもうない、と見切ったからでしょう。

ブクステフーデの限界を超えたバッハ

十九世紀末にワグナーやリストの音楽が「究極」的なものだったから、
それを超えれない、と考えた後世の作曲家は、まるで異なる音楽を造る事で
いわば自身の市場を開拓します。

対して「ブクステフーデがやり尽くしたから、もうやれる事はない」と
ヘナヘナと崩れた、と言われているバッハはどうしたか?

正に「ブクステフーデが打ち立てた前人未到の壁」を超える事を自らに誓います。

そもそも伝記作家がいう「ヘナヘナと崩れた」という説も間違っている筈で、
後年のバッハの行動から察するように、ブクステフーデの音楽に圧倒された際、
「おーし、やったるでぇ!」と(大阪弁ではない筈ですが)奮起し、
ブクステフーデの音楽を徹底的に学ぶ事とそれを超える事を始めた筈です。

「人が出来る事は自分も出来る」というのがバッハの信条だった筈で、
正にこれらの「勤勉」こそがバッハにとっての「信仰の実践」でした。

そして数年を経ずして生まれたのが
「名作」と呼ばれる「トッカータとフーガ ニ短調」です。

(つづく)

Linkはブクステフーデのオルガン曲でなくあえてチェンバロ曲


ブクステフーデ:ハープシコード曲全集

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「教会オルガンの改造が度が過ぎて文句を言われたバッハ」の話 [独断による音楽史]

前回、バッハは二十歳にして「凄腕のオルガニス」として評判になるものの、
「音楽監督」を務めていたアルテンシュタットの教会からは、
「自分勝手で、変な音楽を演奏し、女癖も悪い」という「困った奴」という
批判を受けた、というお話しました。

バッハの言動について教会曰く;

「オルガンを勝手に改造する」 「聴きなれない奇妙な音楽を演奏する」 「合唱指導ができない」
更に伝記作家がここぞとばかりに書く「オルガン室に女性を連れ込んでご乱行」云々の
スキャンダルも伝えられています。

僕がバッハについて書き始めたのは、

「バッハは本当に信仰が厚かったのか」
「信仰の厚さが創造活動に影響するのか」

という素朴な疑問からですが、どうやら
若干二十歳にして最初の出世とも言える
「アルテンシュタット教会オルガニスト」職時代の
バッハの「困った言動」にこそ、
バッハの「基本姿勢」が見えそうです。

という訳で今日は青年期の「バッハの困った言動」ついて
考えて見ましょう。


バッハが「オルガンを勝手に改造するので困った」という話

*改造自体は職務ですが‥

現在と違い、当時のオルガニストの職務は「演奏」に止まらず、
オルガンの調整や改造も含まれました。

従ってバッハが「熱心、且つ、頻繁に改造した事」自体は褒められにせよ、
教会から批判される行動ではありませんでした。

にも関わらず「勝手に改造して困る」と苦々しく批判されたのは、
その頻度と内容が「度を超えていた」事が一点ではないか、と思います。

もし「改造」したいと感じたならば、今で言えば教会に対し「改造申請書」を提出し、
長老なりにプレゼンテーションし、「裁可」を受けた後、
漸く「改造」に着手する、というのが本来の手順。

勿論「小さな改造」はバッハが現場の裁量でやっても構わない、という所。

ところがバッハは「申請書」なぞ無視していきなり「改造」、
その頻度や内容も「常識外れ」だった、と考えられます。

ここで考えたいのがバッハの「性格」。

音楽室の肖像画からは「重厚な人柄」がイメージされますが、
実際には物凄く「せっかち」で、日がな小言を連発し、周囲からは煙たがられるような
「コテコテのおじさん」ではなかった、と言うのが僕のバッハ観です。


「せっかちな性格」が災いした?

バッハが「せっかち」だったに違いないと思える根拠は「作品数の多さ」。

現在出版されているバッハの作品全てを「単に書き写すだけでも一生かかる」
と言われる程の物凄い量の作曲をこなします。

しかも更に驚くべきは、作品の殆どが名作と呼べる程のクオリティーの高さを保っている事と、
バッハは作曲以外にもオルガン演奏、学生への授業、合唱団やオーケストラの指揮、その他諸々の
普通人ならばその一つだけでも精一杯な仕事を並行してこなす超多忙な日々を送っていた事。

にも関わらず量、質共に高品質な作曲活動を生涯続け他のは驚嘆すべき事実です。


作曲するのも取り掛かるのも「物凄く速かった」

バッハの「作曲する速度」が物凄く速かった事は確かですが、
作曲の「仕事に取り掛かる」のも早かった筈だと思います。

そう思うのは、僕がバッハとは比較対象の範疇にすら達しないレベルに位置する点は
目をつぶって頂くとして、僅かながら作編曲活動(?)する身として想像するに、
作曲自体の速さ、と共に「仕事に取り掛かる」速度も人生を分岐するな、と実感できるからです。

例えば僕が作編曲や原稿の依頼を頂いた場合、毎回、締め切り間近まで放置してしまい、
いよいよ締め切りだという前日には流石に机に座るものの、
まず「気合をいれる為」にコーヒーを淹れて飲み、こういう時に限って気に障る
部屋の散らかりを大掃除までやって片付け、漸く机の前に座ると、
五線紙の書式が気に食わぬので印刷し直。

さぁ仕事にかかろう、と鉛筆を握ると急激に眠くなり、
翌朝「締め切りを伸ばして貰う」電話をから漸く仕事が始まる‥というのが毎回。

これがバッハだとどうなるのか?

現代で例えれば仮にランチの時にバッハの元へ仕事依頼の電話がかかった、とします。
バッハならば左手で受話器を握り、打ち合わせをしつつ、机の上の五線紙に書き始め、
夕食の前には完成した作品をファックスで送信する、という日常だったように想像します。

そして「凄い速度で作曲ができた」のは「才能」もありましょうが、
少年期の「修道院付属学校」で身につけた「勤勉さ」こそが、
「才能」を具体的に開花させた「能力」だと言えましょう。

「のろい教会の裁可」なぞ待てなかったバッハ

話を戻しますと「思い立ったら即実行」する事がバッハのモットーですから、
「改造申請書」するより早く、朝までかかって「改造」し「翌朝、教会に事後申告」する筈が、
朝来てオルガンを見ると新たに改造したくなる‥を繰り返し、気づいたら、
別物みたいな改造がなされてしまった、という事でしょう。

つまり今の感覚で感覚で言えばバッハ「組織に収まらないアウトロー」的な
「我儘勝手な人物」だと感じる上司も少なくなかったようです。

高い理想の前には下界の思惑は無視する

ところで「バッハは信仰が厚かった」という通説を検証しよう、
というのが小文の始まりでした。

尤も「キリスト信仰とは何か?」という根本がはっきりしないと、
バッハの信仰が厚かったのかどうか判定しようがありません。

とはいうものの門外漢の僕が書物で調べて程度での知識で書きますので、
「間違っていたらごめんなさい」ですが、バッハにとっての「信仰」とは、
「教会で祈る」とか「聖書を学ぶ」に加え、
「勤勉に生きる」事こそが「信仰」の要諦ではなかった、と思います。

言い換えれば「ハードワークする」という事こそ、
「信仰」を「実践」している事であり、いわば
「神の御心に叶っている」状態だったと自覚できたのでしょう。

従って「至高の音」が出るようにオルガンの改造を続ける事は、
バッハにとっての「神に近く行為」であったと言えます。

その至福の時間の前では「教会のご機嫌なんざに構ってられるか!」
という教会にとっては「我慢できない態度」を取っても不思議はありません。

バッハの「不祥事」として「勝手にオルガンを改造する」に加え、
「休暇を過ぎても帰って来ない」「合唱団をまとめれない」という職務上の問題と共に
「オルガン室に女性を連れ込んだ」という個人的なスキュンダルも山のようにありました。

その原因はバッハが「信仰」心を欠く我儘勝手な人物だったからではなく、
バッハ式「信仰」を徹底させてからの教会との「歪み」が生じたから、というのが真相のようです。

という訳で次回は更に教会を悩ませた「休暇を過ぎても帰らない」
「合唱団をまとめれない」「オルガン室に女性を連れ込んだ」という逸話から、
「真実」を考えて見ましょう。

(つづく)

PS. リンクはグレン・グールドによるバッハ曲のオルガン演奏。

本来ピアニストであるグールドが弾くオルガンは、
よくイメージされる「バッハ=荘厳な大聖堂の響き」ではなく、
小学校の足踏みオルガンを大きくした、という規模のもの。

これで聴くバッハもなかなか乙なものです。


バッハ:フーガの技法/マルチェルロの主題による協奏曲/イタリア風アリアと変奏

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バッハは18歳にして年収450万円で「教会オルガニスト」に抜擢 [独断による音楽史]

皆さん、こんにちわ。「教会音楽とバッハの関係」と称し、
「バッハは信仰が厚かった」「信仰がバッハの音楽創造の源」等の
「常識」検証する、という罰当たりな事を始めました。

前回はバッハが少年期を「修道院付属学校」で過ごした事で、
「神学」はさておき「勤労奉仕」や「活動的な身体」という
「キリスト教精神に基づく心身」を培えたようだ、という結論を得ました。

今回は第三回目として、いよいよ音楽家としてのスタートを切る
青年期のバッハの「信仰」を伝記を参照に考えてみました。

最初の「就職」は地元の宮廷楽団のバイオリン奏者

「修道院付属学校」で音楽、一般教養、神学等の学問に加え、
「勤労奉仕の精神」と「活動的な身体」を習得した10代のバッハは、
今でいう「卒業」後、地元ワイマールの宮廷楽団にバイオリン奏者として
「就職」します

尤も当時「宮廷楽師への就職」は、現代の音大生が「競争に勝ち抜いて
念願のオーケストラ入団を果たす」という程にはめでたいものではなく、
現代で言えば「調理師学校卒業後に、志望したホテルのレストランに就職できた」
という程々のめでたさ、という所でしょう。

そもそも当時の音楽家(音楽職人と呼ぶべきか)は、
「特別に才能がある」とか「音楽が物凄く好きだ」からこの道に進む、
というものではなく、特殊な職能とはいえ、現代で言えば、
「家業の蕎麦屋さんを継ぐために修行をする」過程で成れる職業選択の一つでした。

バッハが「宮廷楽団のバイオリスト」に就職できたのも、
「才能に恵まれたから」という大袈裟なものではなく、
現代で言えば「調理師学校を卒業したからホテルのレストランに就職」し、
「見習い」として仕事を始めた、という程度でしょう。

半年後に「新しくできた教会のオルガニスト」に「転職スキルアップ」

晴れて「宮廷楽師」として「新社会人」としてスタートを切るバッハですが、
半年後に、アルンシュタットの新教会に新型オルガンが設置された、
と当時の「就職情報誌」に相当する「口コミ」で聞きつけ早速「転職」の面接に出かけます。

結果はバッハの圧倒的なオルガン演奏に満場一致で採用決定
教会のオルガニスト兼聖歌隊の指導者に「転職スキルアップ」。

「転職」で「年収が三倍」に!

「宮廷楽師」から「教会のオルガニスト」に「転職」したのは、
「信仰が暑いバッハは教会に居たかった」という説もありますが、
やはり「年収アップ」が理由でしょう。

社会システムが現代と異なるので貨幣の価値が異なりますが、
単純に現代の邦貨で換算し、前職の「宮廷楽師」が年収60万円程度、
対して「転職」後の「教会オルガニスト」が年収150万円程度。

恐らく、それぞれの数字を三倍にしたのが現代日本での貨幣価値に
相当すると思われますから、「宮廷楽士(見習い)」が年収150万円、
「教会オルガニスト」が一気に年収450万円に「転職アップ」。

これが当時18〜19歳のバッハの職と報酬ですが、
当時は12〜3歳位から「丁稚奉公」を始め18歳位で「親方」として独立した訳ですから、
当時の18歳は現代の28歳位に相当するでしょう。

つまり現代で例えれば、バッハは28歳の時に、
地元の小さなホテルのボーイさんだったのが、
大きなホテルのフロア・マネージャーに抜擢された、
それまでの三倍の450万円の年収になった、という所でしょう。

ちなみに「宮廷楽士」の給料は安い、という意味ではなく、
バッハがいわば「見習い」だったから僅かな報酬しか得れなかった訳で、
後に別な宮廷の「楽長」に就いた際には現代の貨幣価値で年収数千万円の待遇を得ます。

又、少年期から青年期にかけてのバッハは半年から数年に一度の割合が「転職」を繰り返しますが、
これは「職を転々とした」という意味ではなく、当時から近代に至る欧州では、
同業の中で腕を磨いてはより条件の良い職場へ変わっていく、というのが正常でした。


「見習い楽師」中に驚異的な進歩を遂げた少年バッハ

「修道院付属学校」を「卒業」して一年を経ず「若いが凄腕のオルガニスト」として
ブイブイ言わせ始めるバッハですが、ほんの半年前までは薄給の「見習い楽師」でした。

この辺りについて「伝記作者」は詳しく書きませんが、
バッハはモーッアルトのような「天才少年」ではなく、
最初の職である「宮廷楽師」の際も格別の待遇を受ける存在ではなかったようです。

にも関わらず僅かな期間で他を圧倒するオルガニストに成長し得たのは、
バッハに「才能があった」事は勿論ですが、少年期に兄からの受けた厳しい教育
(=職業訓練)も有効だった事と共に、やはり少年期の「修道院付属学校」で叩き込まれた
「精進努力」という「キリスト教精神」の実践の成果でしょう。

そういう意味でバッハは「信仰が厚い」人と言えますが、
現実のバッハは生涯に渡り、音楽上でも「素行(の悪さ)」の点でも、
教会から批判され続けます。

オルガン室に女性を引き込みクビ(?)に

若くしてアルンシュタットの教会オルガニストという誇らしい職に就いたバッハですが、
前述のごとく「より良い条件を求めて」という理由と、教会側との衝突が原因で、
三年を満たずして「転職」を余儀なくされます。

アルテンシュタットの教会がバッハと対立した理由を並べますと

1,オルガンを勝手に改造する。
2,休暇を過ぎても帰って来ない。
3,「不協和音と不揃いのリズム」のおかしな音楽を作曲する。
4,合唱団の指導がよくない。
5,素行(特に女性関係)が悪い。

等々挙げられます。

要するに教会の立場では、バッハは若くして才能はあるものの、
ワガママ放題で変な事を色々とやる、扱い難い困った人物だった、
と言えた訳です。

ところでバッハと言えば、音楽室の肖像画や荘厳な教会音楽から、
「真面目一方のお硬い人物」=「信仰が厚かった」とイメージされます。

にも関わらず伝記作家がここぞとばかりに書くように、
神聖な礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込んで「お楽しみ」に耽った訳ですから、
「素行が悪い」と言いましょうか「ファンキーなオヤジ」ではなかったのか、
なんだかホッとするような逆のイメージを描いてしまいます。

実際、バッハに計20人の子供が生まれた(生存できたのは10人)事も、
バッハが「精力絶倫」ぶりと共に「ファンキーさ」の心証となり得ましょう。

更に拡大解釈し「バッハの信仰が厚かった」は嘘ではないか、
と言い出す人も出てくる始末です。

実際はどうだったのか?

そこで「オルガン室に女性を連れ込んでバッハはナニをやったのか?」

そのあたりについて「伝記」ではなく、
残された作品から調べてみましょう。

(つゞく)
リンクはグレン・グールドによるバッハの小品集。子供の時や初心者の時に習う曲です


J.S.バッハ:小プレリュードと小フーガ集 ほか(日本独自企画盤)

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「バッハの信仰が厚かった」は本当? 「修道院生」時代の少年バッハについて [独断による音楽史]

前回から「キリスト教音楽」の象徴ともいえるバッハについて書いています。

「バッハは信仰が厚かった」
「信仰が厚いから良い(教会)音楽が作曲できた」
というのが「常識」。

勿論、バッハの膨大な「教会音楽」作品の殆どが歴史的名曲である事は事実です。

或いはカール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団の演奏が、
僕のようなキリスト教信仰がない者までを「敬虔な気分」にさせるのは
彼等の「信仰が厚さ」が好影響している事を疑う要はありません。

しかし、よくよく考えてみれば信仰が厚い」とはどういう状態にある人を指すのか?

更に「信仰は音楽創造に反映するのか?」という根源的な疑問は残ります。

という訳でキリスト教の方からお叱りを頂きそうですが、
「先入観に執われずモノを観る」事は「ピアノやボーカルが上達するコツ」でもある訳で、
今回はバッハについての「常識」を検証してみましょう。

*******
「修道院付属学校の給費生」として過ごした少年期のバッハ

先ずは「バッハの信仰が厚かった」という「常識」を検証する手段として、
バッハの生涯を見つめましょう。

バッハは8歳の時に母を、10歳時に父を亡く、
音楽家だった兄に引き取られ、音楽の勉強に励みますが、
やがて地元の「修道院付属学校の給費生」となります。

この「修道院付属学校の給費生になった」という人生のスタートが、
「バッハの信仰が厚かった」根拠の一つとされます。

ところでキリスト教について復習すると、
キリスト教には、ローマ教会を頂点とする古くからの「カソリック」と、
バッハの少し前の時代にドイツ人ルターによって始まった「プロテスタント」とがあります。

「プロテスタント」は「カソリックに抗議する」という意味で、
同じキリスト教ながら教義が異なり、いわば犬猿の仲らしいです。
尚「プロテスタント」にはルター派、カルバン派、福音派等色々な流派があります。

バッハは「修道院」の付属学校で学びますが、
「修道院」があるのは「カソリック」のみ。

「プロテスタント」は「修道院」を持ちませんが、
少年期のバッハが住むザクセン地方はルター派は例外的に「修道院」か設けられます。

これはバッハにとって幸運な事といえましょう。

バッハの「勤勉」は修道院付属学校の影響?

ところで「修道院付属学校」時代のバッハですが、
「給費生」に選ばれる位だから、成績優秀で信仰も厚かった、
と想像しますが、実は少し事情が異なるようです。

当時の「給費生」は現代の「特待生」とは少し事情が異なり、
成績が優秀だから給費される、という訳ではなく、
大雑把にいえば「経済的事情で学費は払えない」がある程度以上の資質が認められれば、
誰でも「給費生」になれたようです。

つまり当時の「給費生」は衣食住や教育を保障されつつ、
修道院で労働する、いわば「下働き」に雇われた、といえなくもない立場でした。

とはいえバッハが「雑用係としてこき使わた不幸な少年時代を過ごした」訳ではありません。

「修道院付属学校」とは「キリスト教の精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする施設*」
とされます。

言い換えれば学費を納めれる者も給付される者も、学業のみならず、
「勤労奉仕」こそが「重要な科目」であり、
学費を稼ぐためにアルバイトをした、という意味ではありません。

ふと思い出したのが関大徹という坊さんが「禅」について述べた
「食えなんだら食うな」という本を思い出しました。

僕達部外者は「禅」といえば座禅を組んで瞑想をする事が「修行」のように想像しますが、
そうではなく、廊下の拭き掃除から土木工事までこなす「作務」こそが「修行」だ、
という意味の事が書かれてありました。

これも厳密にいえば「キリスト教の修道院」にせよ「禅寺」にせよ、
義務感で嫌々やる、とか学費を稼ぐためにやる、とかは論外。

「しんどい労働を提供する」から「修行をしている」という意味ではなく、
「自分を高める為に労働する」もっと言えば「労働という高める為のチャンスを与えられた」
と感謝できる「精神を培う」事が「修行」だ、という事らしいです。

少年バッハの「修道院生としての成績」は不明ですが、
課せられた「徹底的に身体を動かす労働」に対しては、
「安い給料でこき使われた」とい被害者感覚ではなく、
「身体と行動力と精神力を培う」とか「神への奉仕になる」という
「キリスト教精神」を修得した事は確かです。

教会と揉め続けたバッハの生涯

バッハのキリスト教「信仰の暑さ」については、
次章で述べますが、生涯に渡り「教会」と揉め、
更に職業的な必要性からプロテスタント・ルター派、同カルバン派、
カソリックと「宗旨替え」します。

つまり教会からすれば「突出した有能な音楽家」である事は疑いがないにせよ、
何かと「反抗的」な扱い難い信者であったようです。

ならばバッハの「信仰の厚さ」は大したものではなかったのかと言えば、
「精進努力する事こそ神の心に適う」という考えの履行において、
強靭であった、と言える訳ですね。

おっと時間が来ました。次回はいよいよ教会のオルガニストとして頭角を現しつつも、
様ざまな「けしからぬ行為」等で教会とぶつかり始める青年期のバッハについて述べます。

つづく

PS リンクは関大徹著「食えなんだら食うな」

食えなんだら食うな―今こそ禅を生活に生かせ (1978年)

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  • 作者: 関 大徹
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「キリスト教」とバッハの関係 [独断による音楽史]

「教会音楽」の歴史的名曲が目白押しのバッハ

最近、僕の周辺に「クリスチャン」のが増えていて、
時々「キリスト教と音楽の関係」が話題に登ります。

僕自身は「クリスチャン」ではなく、教会に出かけた経験は、
学生時代に合唱団を手伝った位しかありませんが、
クラシックに限らずジャズも何かとキリスト教会と関わってきました。

ですからキリスト教の「宗教音楽(以下キリスト教音楽)」と呼ばれるジャンルが
存在する程ですが、皆さんは「キリスト教音楽」と聞い何を想い浮かべますか?

僕は「バッハのトッカートフーガ」のよなうオルガン曲や
「フォーレのレクイエム」のような合唱曲、
古くはペルコレージの「スタバトマーテル」、
新しくはオリビエ・メシアンの「世の終わりの為の四重奏」
なんてのを想い出しますがいかがですか?

「キリスト教音楽」の作曲家も沢山いますが、
やはり「巨匠」を一人あげるとすればバッハにトドメがさされます。

バッハにはオルガン曲やカンタータ、「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ」他
「キリスト教音楽の歴史的名曲」が目白押しにあります。

音楽的にも凄いが「宗教的」にも凄いのがバッハの「教会音楽」

バッハの「教会音楽」の凄いのは、キリスト教の信仰がなくても、
バッハの「教会音楽」を熱烈愛好する、という音楽ファンが沢山いる点でしょう。

僕にした所で、カール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団による
「マタイ受難曲」等を聴きますと、音楽的にも感動しますが、
何やら「敬虔な気持ち」になる訳で「キリスト教信仰」がほんの少しは芽生えてしまう訳で、
バッハ音楽の「キリスト布教」の「威力」はバツグンですね。

https://youtu.be/pf4UNJqv_-A(リヒターの「マタイ受難曲」の動画)

では、この「威力」はどこから来るのか?
やはり「信仰」の力なのか?

バッハは「信仰が厚かった」は本当?

バッハについては紐解くと「バッハは信仰が厚かった」と書かれてあります。

少年期を「修道院の付属学校」を成績優秀の給費生として過ごし、
最初の「就職」もその教会のオルガニストならば、
最終職も聖トマス教会の学長と付属音楽学校の校長。

何かしら教会と関わり、
生涯に人間業とは思わない程の量と高い質の
「教会音楽」を作曲しています。

「音楽家のキリスト信仰」で思い出すのが前述のカール・リヒター。

リヒターは戦後東西分裂したドイツにて「バッハの教会音楽」の至高を目指して
ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。バッハ演奏では世界一ともいえる指揮者、
チェンバロ、オルガニストであり「バッハ研究」でも世界一。

戦前のドイツで生まれ、何と二百年前にバッハが校長を務めた聖トーマス教会の
付属音楽学校で学びます。しかも成績優秀だったリヒターは、卒業後、
二百年前にバッハ同様に同教会のオルガニスト職に就きます。

ところで「ミュンヘン・バッハ管弦楽団」によるカンタータやミサが、
深い精神的感動を呼び起こすのは、管弦楽団の演奏技術が高い事もありますが、
合唱団について、選抜の条件として、プロに限らず、声が良いとか、歌が上手とか以上に
「信仰の深さ」が求められているからだ、とも言われています。

https://youtu.be/c80yKlT4A74 (リヒターの伝記。合唱団の練習シーンあり)

バッハ音楽の崇高さの理由の一つが「信仰の厚さ」にある事は間違いありませんが、
しかし「信仰」と「音楽創造/演奏」はどう関わっているるのか?
と聞かれると実はよく分からないのですね。

そもそも「信仰が厚い」と言われているバッハですが、
音楽については、教会側から当時の感覚としては「俗っぽい」とか、
「不協和音や攻撃的なリズムが多すぎる」とかのクレームが続出。

長老との喧嘩が絶えず、とはいえ、それが「音楽進化の必然」として許されるとして、
音楽室のバッハの肖像画の「厳しさ」とは逆に、若い頃のバッハは、
礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込み、「お楽しみに耽り」教会から叱責される等、
むしろ松山千春のようなトンデモ人物だったと記録されています。

まぁ「ファンキー」な面が見えてくるのは微笑ましい(?)として、
そもそも本当にバッハは「信仰の厚かった」のか、という疑問も感じてしまいます。

キリスト信仰がバッハの創造性に与えた影響とは?

という訳で前置きが長くなりましたが、
バッハは「キリスト教音楽」に如何に関わったのか?
或いはバッハのキリスト信仰が音楽創造にどのように影響したのか?

その辺りを「先入観」に捉われず、史実と作品から解析する事で、
新たな「真実」を迫ってみたくなりました。

題して僕の独断による「キリスト教」とバッハの関係について、
お話しましょう。

つづく

PS リンクは「カール・リヒター マタイ受難曲」抜粋

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

  • アーティスト: リヒター(カール),バッハ,ミュンヘン・バッハ管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/05/20
  • メディア: CD



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アート・テイタムのようにピアノを弾きたい! [チャールストン倶楽部]

みなさん、こんにちわ。最近は「短文」はFaceBook、動画は「You-tube」に投稿するせいか、
どうも本ブログは書かないまま、と言う月日が流れてしまいます。

ただFace Bookは「僕には合わないな」と最近感じてしまうのは、
「変にハマってしまう」から。

色々と「ネット友(?)」ができ、スマホで興味ある話を交換(投稿)していると、
あっという間に通勤や出張の往復時間なぞ潰れてしまいます。

他の人のように、それ以外の時間は仕事や勉強に熱中していならば、
通勤時間くらいナニをやろうが他人の迷惑にならない限り自由ですが、
僕のように、日中もうつらうつらと働いてるのか昼寝してるのか分からない生活をしてますと、
むしろ「通勤時間帯」位仕事なり勉強しなければ、となります。

その時間がFBに奪われてしまいますと、結局、一日中何もしてない「ニート」と
変わらないので、相変わらず身勝手ながらFBは「仕事の広報」の為に「発信のみ」と割り切りましたが、
どうせ「発信」ならば長文が書きたいのが僕の性分です。

よく「原稿用紙3枚で」とか「十分間のスピーチ」とか頼まれるのですが、
大抵「原稿用紙」三枚の筈が10枚を軽く越し、十分間の筈が30位の話になり、
だからと言って有り難がられのでなく、迷惑がられるのは、
先方の都合もさる事ながら、実際の中身は「現雇用紙一枚」「3分で収まる話」の
内容しかないからでしょう。

関係ない話から入り、関係ない話に飛び、関係ない話で終わる、という
代わりにまとめる人が苦労するのが、僕の文章であり、実際の話ですが、
これは言い訳すれば「ジャズ即興」を生業にしている事が関係するのかも知れません。

とは言っても、マイルス・デイピスとかビル・エバンスとかは、
話したって、ビシーっと最低限の言葉で深い話をキメるのは、
即興演奏でもものすごく密度の高い事をやっているからでしょう。

よくネットの上では「雄弁」というか、チマチマとしつこいメールや書き込みを
「傲慢な調子」でする癖に、いざ会うと物凄く腰が低く、どころか何を聞いても「はいー」
としか言わず会話が成立しない人がいて面食らいますが、その点、僕は、
ネットの文章も長いが、実際もかの田中真紀子センセイのごとく、
めちゃくちゃな内容で、且つ長時間話すから、ネットのリアルの人物像はずれてないでしょう。

うちの周辺にいる人では、最近、一緒に演奏できるようになった(歌が進歩したので)
G子さんが、これ又、よく喋る。二人で「会話」しだすと「下手な漫才」みたいに
機関銃のごとくに喋ります。

僕は子供の頃から青年期にかけて、
自分では「口下手」で「無口」な人だと思ってたし、
実際、そうだったのですが、海外生活が始まって以来、
どうもペラペラまくし立てる癖が止まらなくなり、
色々と失敗する事が続きます。
(その話は別な機械に)

それでも自分の「理想像」は、
人間性でも音楽性でも「坂本龍一」さんのごとく、
クールで、無口だが一言一言が重く深い、というタイプになる事。

少なく共、音楽的には、ある時期まで、そういう事を目指していたし、
自分なりに達成とは言えぬにせよ、ある程度はできた、と思います。

それでライブなりコンサートなりをする訳ですが、
終わってからボサーっと突っ立っていると、気の毒がってくださるのか、
もしかして僕の音楽に興味があるのか話しかけてくれる人がいます。

そういう場合は五分くらいは音楽のイメージにあう自分を「演出」できるのですが、
意気投合する、とか打ち上げになるとイケません。
いい気になると、つい、全然期待されない、違う方向の変な話を機関銃のごとくに
まくし立てる方向のスイッチが入ってしまい、一人だけ楽しい、という困った自体に陥ります。

かと言って「不機嫌」な時は極めて無愛想何ですけど。

それはともかく、どうも自分は、いわば「モノクローム」で「クール」な
音楽と人間性を目指して来たけど、そもそも人間性がそうではないから、
音楽も本当はそうではないのではないか、と思い始める訳です。

それで非常に艶やかで華やかではあるけれど「メチャクチャ」ではない
オスカー・ピーターソンのピアノを「自分の演奏スタイル」の「お手本」と選択し、
そういう方向に自分の演奏わ変えて行きました。

そうすると、今までの「クールな音楽」というのは、
どうも自分にとって「性同一性障」のごとくに「音楽と人間性同一性障害」だったのではないか、
と思えて来ました。それが40歳も過ぎた頃かな。ちょっと親しい、というか知ってる女の子が
レゲエが好きで極彩色の服を来てたりしたのも無意識のうちに影響されたのかも。

それで「クール」で「現代的」な音楽から、「ロマチック」で「感情豊かな」音楽に
切り替え、かと言って音楽なんて「感覚一発」では決してできる訳でなく、
支えるための知識や技術を習得するにつれ、少しつづですが、自分のピアノも
進歩して来ました。

その頃、ボーカルュピアの弾き語り)も始めましたが、
当初はマイクに向かって歌うだけでも恥ずかしかったが、
次第にズウズウしくはなりましたが、いざ録音して聴くと
これが全然ダメ。

という訳で四十も半ばになりましたが、
本格的にボーカルの勉強を始める訳です。

幸か不幸か職業柄、毎日毎日、朝から晩まで、
歌っている訳せいか50歳をコスあたりから、
漸く声も出て来た。

最早、五十も半ばですけど、五年前と比べると、
自分自身はドーッと歳をとってヨレヨレだけど、
ピアノとかボーカルは進歩している訳ですね。

とはいえ、すでにピル・エバンスやなんかが亡くなって年齢になっている訳で、
これは「晩年」ではないか、とふと気づく訳です。

何かかの加減で「伝記を書かれた場合(勿論、そんな確率はぜろですが)」、
今の五十半ばという年齢を「晩年」と言えるかもしれません。

「晩年の藤井はこれこれした」なんて書かれるかも。

なんてバカな話をしてても仕方ない。

それで五十の手習いと言いますか研究課題が、
1930年代に若くして「最初の全盛期」を迎える
ジャズピアノの父、とか「巨匠」と呼ばれるのが
「アート・テイタム」。

超然技法のジャズピアニスト。当時どころか
なくなる1950年代になると殆どのピアニストは、
テイタムが来ると黙って席を降りたのは、
テイタムのスタイルが何十年も先を行ってたのと、
やはり「超絶技法」のピアノテクニックと編曲技法故でしょう。

そんな訳でテイタムが実際に演奏したのを採譜した所で、
そんなもの弾ける筈がありませんが、
実はテイタムが「民生用」に楽譜に残したのが色々とあります。

実は最近「晩年」に達した僕が「お手本」にば閉めたのが
正にこの人「アート・テイタム」。

これはアート・テイタムの自筆譜を含む「編曲もの」。
10分難しい編曲ですが、実は「物凄くシンプル」に「簡素」にした
「民生用」が入っているのが、この本。

「晩年の藤井はテイタムの勉強に没頭した」と言われるようにならねばなりません。

とはいえ私のお薦めがリンクの本。

テイタムに限らずテディ・ウィルさんやフアッツ・ワーラー本人の楽譜が掲載されてします。




The World's Best Piano Arrangements: For Intermediate to Advanced Piano

The World's Best Piano Arrangements: For Intermediate to Advanced Piano

  • 出版社/メーカー: Alfred Music
  • 発売日: 1991/09/25
  • メディア: Kindle版



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