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ブクステフーデの音楽に夢中になり休暇が過ぎても帰らなかったバッハ [独断による音楽史]

前回、バッハにとっての「信仰」とは「勤勉に生きる事」で達成される事だったのではないか、
という自説を立てて見ました。

僕はキリスト教については門外漢ですが、バッハが所属した「プロテスタント系教会の基本」
として「勤勉」が述べられてましたから、僕の説は間違っていないでしょう。

「勤勉こそが「信仰の実践」であるならば、
定説とされる「バッハ信仰が厚かったから(勤勉に励んだから)
高いレベルの音楽創造を成し得た」は真実と言えましょう。

但し「勤勉」に「沢山作ればいい」というだけではないのが「音楽の本質」でして、
高みに向かわぬ限り「芸術」としての存在価値はありません。

後世に「絶対に習得しなければならない教則本」と日本で信じられている
膨大な数の「ツェルニー練習曲」を遺したカール・ツェルニーは、
正に「勤勉実直」を絵に描いたような人物で、師であるベートーヴェンの信頼を得ました。

反面「芸術性」はゼロ。従って「ツェルニー練習曲」なぞ学ぶ必要はない、
否、「触れてはならない」駄作と言えましょう。

対してバッハのピアノ作品は初心者向けの小品でも高い品格と芸術性を有し、
学ぶ程に味わいと演奏技術が高まるという逸品揃い。

結局「勤勉でなければならない」が「勤勉なだけでは駄目」なのが芸術というものですね。

ところでバッハには若干18歳にして技能と学識、品格を備え
「アルテンシュタットの教会オルガニス兼指導者」という結構な地位を獲ますが、
教会とは諸事衝突を繰り返した、というのが前回からの話でした。

「教会と衝突した」から「信仰が薄かった」とも言いぬのは、
教会が批判する「バッハは勝手にオルガンを改造して困る」は、
バッハにとっての「神に近づく行為」の前では「教会のまどろこしい手続き」
なぞ飛び去った故、だからです。

という訳では今日は「アルテンシュタット教会と決別した要因」の他のものである
「休暇が過ぎても戻らない」「合唱団がまとまらない」
「オルガン室に女性を連れ込んだ」等についても偏見に囚われずに、
作品を追う事で検証してみましょう。


「休暇の四週間が過ぎても戻らず、三ヶ月後に戻る」

バッハは「アルテンシュタット教会オルガニスト」時代、
「四週間の休暇」を教会に申請し、認められます。

休暇申請自体は問題がなく、その目的が「当時最高のオルガニスト」と言われた
ブクステフーデの元に「学びに行く」とあれば、褒められはこそ何ら責られる事はありません。

問題は四週間の休暇に関わらず、実際にバッハが帰ってきたのが三ヶ月後だったという点。

交通事情が悪かった当時ですから、四週間の休暇の筈が六、七週間に伸びてしまったとて、
許容できる範囲だったにせよ、三ヶ月は前代未聞。

なぜ三ヶ月もかかったのか?

馬車代をケチって400キロの道のりを徒歩で旅行したバッハ

バッハはアルテンシュタットからリューベックまで400kmを徒歩で往復します。
当時、徒歩での旅行は珍しくはなく、少年期「修道院の付属学校」時代に
足腰を鍛えたバッハにとって400㎞の道のりは当然だったかも知れません。

尤も「アルテンシュタットのオルガニスト職」という「平民としては結構な収入と地位」
を得ていたバッハの経済力と身分からすれば、乗合馬車を利用するのが当然。

それを惜しんだはバッハが終生貫く「ケチ」が発露されたからでしょう。

ちなみに「ケチ=質素倹約」も「プロテスタントの教え」だそうですから、
この点でもバッハは「信仰が厚かった」と言えるかも知れませんね。

問題は400キロを徒歩で向かうとなれば、目的地のリューベックまで一週間から十日を要し、
往復二週間から20日が移動に費や去られるので、リューベックに滞在できる日数が
十日から二週間しかなくなる、という点です。

つまりバッハは「ブクステフーデの滞在は二週間もあれば充分」と考えた結果、
合計四週間の休暇を申請したのか、始めから三ヶ月くらい滞在するつもりだったが、
教会が四週間しか認めなかったので、勝手に「休暇延長」したのかは不明ですが、
恐らく旅立つ前は「二週間で充分」と算段したのでしょう。

ではなぜ休暇を過ぎても戻らなかったのか?

バッハを圧倒したブクステフーデの演奏

伝記作者によれば、滞在が延びたのはバッハが「ブクステフーデに気に入られた」からだそうですが、
僕は逆にバッハが「ブクステフーデの音楽を気に入った」からだと思います。

バッハの後年の行動から察するに、いくら「ブクステフーデが気に入った」とて、
自分が気に入らねばサッサと帰ってしまう、のがバッハの常でした。

実際には相思相愛だったようですが、バッハにとって「ブクステフーデの音楽」は
「気に入った」というレベルで済まず「圧倒」された、というべきでしょう。

1770年代初頭に若干18歳(現代の感覚では28歳位)のバッハが、
アルテンシュタット教会から「破格の年棒」で迎えられたのは、
バッハが既に「凄腕のオルガニスト」として評判だったからです。

にも関わらず老ブクステフーデの前でバッハは「実力差に打ち負かされた」。

日本では「バッハの伝記」にしか登場しませんが、
「ブクステフーデの音楽」とはどのようなものだったのか?

ちょっとYou-tubeで聴いてみましょう。

曲はブクステフーデ作曲「シャコンヌホ短調」

https://youtu.be/VhUrdCisQW0

とても美しく、深い音楽です。

僕が驚いたのは「バッハそっくり!」な事。
勿論、バッハが真似(お手本)にした訳ですが。

ついでに同曲をオーケストラに編曲した演奏も。

https://youtu.be/3574_DY545c

これは編曲者のセンスのお陰もありますが、
現代の作曲家であるサミエル・バーバーやシュスタコービッチのような
モダーンな音楽に聴こえます。

「バッハ=初級 vs ブクステフーデ=中上級」の実力差

バッハはブクステフーデの音楽に圧倒されますが、
当時のバッハの実力はどれくらいだったのか?

上記の如くバッハは若干18歳にして、「破格の待遇」でアルテンシュタット教会が
契約したのは既に「凄腕のオルガニスト」として名を馳せていたからです。

当時のオルガニストは作曲家も兼ね、つまり作曲家としてもバッハも第一級だった訳ですが、
「アルテンシュタット時代」の作曲作品は殆ど残っておらず、幾つかの「これは使える」と
バッハ自身が感じた作品は、後年バッハ自身の加筆によって改作され現代に遺ります。

それらを含め遺された作品から察するに、当時のバッハの作曲技能は、
大雑把なイメージで言えば、現代のピアノ教本でもある「子供のバッハ」や
「初めてのバッハ」等の「初心者向け」作品という所でしょう。

これでも当時としては「凄腕」と言われてのは、
当時の一般的なプロテスタント教会の音楽のレベルは、
大雑把なイメージで言えば、
僕達の小学生時代の「音楽の授業」のような感じ。

「足踏みオルガンの伴奏」に合わせ「春の小川」や「埴生の宿」等を
皆で歌う、という程度。

それに比べれば、初心者向けと言えどバッハ作曲の「メヌエット」や「ジーク」等の
「初心者向けピアノ作品」は格調高く、当時としては複雑でモダーンな響に聴こえた筈です。

対して当時のバッハを驚かせた「フクステフーデの音楽」は、
これもイメージになりますが、バッハの中級向けとされる
「インベンション」や「フランス組曲」等あたりのレベル。

ブクステフーデの演奏(自作自演や即興演奏)を聴いたバッハは、
「フーガでやれる事はブクステフーデがやり尽くした」「もうやれる事はない」
とヘナヘナと崩れた、とも言われます。

丁度、19世紀末から20世紀初頭のクラシック作曲家が、
「ワグナーが調性音楽でやれる事は全てやり尽くした」とか、
「ショパンとリストとでピアノ音楽でやれる事はやり尽くした」と絶望したのと同様。

ちなみに「ワグナー以上の事はできない」と考えたシェーンベルクは、
今日、現代音楽と呼ばれる「無調音楽」の音楽体系を創り、
ドビッシーはショパンやリストとはまるで異なる手法のピアノ音楽を造り、
「違う道」へと進みます。

僕が想うに、後年、バッハの息子達が、放蕩の末に野垂れ死した長男のフリーデマンを別にして、
「バッハ風」の音楽スタイルの道は取らず、次世代の「古典派」風の音楽に傾倒したのは、
時代の流行、という事もありましょうが、バロック様式の音楽について父バッハが
「やり尽くした」からやれる事はもうない、と見切ったからでしょう。

ブクステフーデの限界を超えたバッハ

十九世紀末にワグナーやリストの音楽が「究極」的なものだったから、
それを超えれない、と考えた後世の作曲家は、まるで異なる音楽を造る事で
いわば自身の市場を開拓します。

対して「ブクステフーデがやり尽くしたから、もうやれる事はない」と
ヘナヘナと崩れた、と言われているバッハはどうしたか?

正に「ブクステフーデが打ち立てた前人未到の壁」を超える事を自らに誓います。

そもそも伝記作家がいう「ヘナヘナと崩れた」という説も間違っている筈で、
後年のバッハの行動から察するように、ブクステフーデの音楽に圧倒された際、
「おーし、やったるでぇ!」と(大阪弁ではない筈ですが)奮起し、
ブクステフーデの音楽を徹底的に学ぶ事とそれを超える事を始めた筈です。

「人が出来る事は自分も出来る」というのがバッハの信条だった筈で、
正にこれらの「勤勉」こそがバッハにとっての「信仰の実践」でした。

そして数年を経ずして生まれたのが
「名作」と呼ばれる「トッカータとフーガ ニ短調」です。

(つづく)

Linkはブクステフーデのオルガン曲でなくあえてチェンバロ曲


ブクステフーデ:ハープシコード曲全集

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「教会オルガンの改造が度が過ぎて文句を言われたバッハ」の話 [独断による音楽史]

前回、バッハは二十歳にして「凄腕のオルガニス」として評判になるものの、
「音楽監督」を務めていたアルテンシュタットの教会からは、
「自分勝手で、変な音楽を演奏し、女癖も悪い」という「困った奴」という
批判を受けた、というお話しました。

バッハの言動について教会曰く;

「オルガンを勝手に改造する」 「聴きなれない奇妙な音楽を演奏する」 「合唱指導ができない」
更に伝記作家がここぞとばかりに書く「オルガン室に女性を連れ込んでご乱行」云々の
スキャンダルも伝えられています。

僕がバッハについて書き始めたのは、

「バッハは本当に信仰が厚かったのか」
「信仰の厚さが創造活動に影響するのか」

という素朴な疑問からですが、どうやら
若干二十歳にして最初の出世とも言える
「アルテンシュタット教会オルガニスト」職時代の
バッハの「困った言動」にこそ、
バッハの「基本姿勢」が見えそうです。

という訳で今日は青年期の「バッハの困った言動」ついて
考えて見ましょう。


バッハが「オルガンを勝手に改造するので困った」という話

*改造自体は職務ですが‥

現在と違い、当時のオルガニストの職務は「演奏」に止まらず、
オルガンの調整や改造も含まれました。

従ってバッハが「熱心、且つ、頻繁に改造した事」自体は褒められにせよ、
教会から批判される行動ではありませんでした。

にも関わらず「勝手に改造して困る」と苦々しく批判されたのは、
その頻度と内容が「度を超えていた」事が一点ではないか、と思います。

もし「改造」したいと感じたならば、今で言えば教会に対し「改造申請書」を提出し、
長老なりにプレゼンテーションし、「裁可」を受けた後、
漸く「改造」に着手する、というのが本来の手順。

勿論「小さな改造」はバッハが現場の裁量でやっても構わない、という所。

ところがバッハは「申請書」なぞ無視していきなり「改造」、
その頻度や内容も「常識外れ」だった、と考えられます。

ここで考えたいのがバッハの「性格」。

音楽室の肖像画からは「重厚な人柄」がイメージされますが、
実際には物凄く「せっかち」で、日がな小言を連発し、周囲からは煙たがられるような
「コテコテのおじさん」ではなかった、と言うのが僕のバッハ観です。


「せっかちな性格」が災いした?

バッハが「せっかち」だったに違いないと思える根拠は「作品数の多さ」。

現在出版されているバッハの作品全てを「単に書き写すだけでも一生かかる」
と言われる程の物凄い量の作曲をこなします。

しかも更に驚くべきは、作品の殆どが名作と呼べる程のクオリティーの高さを保っている事と、
バッハは作曲以外にもオルガン演奏、学生への授業、合唱団やオーケストラの指揮、その他諸々の
普通人ならばその一つだけでも精一杯な仕事を並行してこなす超多忙な日々を送っていた事。

にも関わらず量、質共に高品質な作曲活動を生涯続け他のは驚嘆すべき事実です。


作曲するのも取り掛かるのも「物凄く速かった」

バッハの「作曲する速度」が物凄く速かった事は確かですが、
作曲の「仕事に取り掛かる」のも早かった筈だと思います。

そう思うのは、僕がバッハとは比較対象の範疇にすら達しないレベルに位置する点は
目をつぶって頂くとして、僅かながら作編曲活動(?)する身として想像するに、
作曲自体の速さ、と共に「仕事に取り掛かる」速度も人生を分岐するな、と実感できるからです。

例えば僕が作編曲や原稿の依頼を頂いた場合、毎回、締め切り間近まで放置してしまい、
いよいよ締め切りだという前日には流石に机に座るものの、
まず「気合をいれる為」にコーヒーを淹れて飲み、こういう時に限って気に障る
部屋の散らかりを大掃除までやって片付け、漸く机の前に座ると、
五線紙の書式が気に食わぬので印刷し直。

さぁ仕事にかかろう、と鉛筆を握ると急激に眠くなり、
翌朝「締め切りを伸ばして貰う」電話をから漸く仕事が始まる‥というのが毎回。

これがバッハだとどうなるのか?

現代で例えれば仮にランチの時にバッハの元へ仕事依頼の電話がかかった、とします。
バッハならば左手で受話器を握り、打ち合わせをしつつ、机の上の五線紙に書き始め、
夕食の前には完成した作品をファックスで送信する、という日常だったように想像します。

そして「凄い速度で作曲ができた」のは「才能」もありましょうが、
少年期の「修道院付属学校」で身につけた「勤勉さ」こそが、
「才能」を具体的に開花させた「能力」だと言えましょう。

「のろい教会の裁可」なぞ待てなかったバッハ

話を戻しますと「思い立ったら即実行」する事がバッハのモットーですから、
「改造申請書」するより早く、朝までかかって「改造」し「翌朝、教会に事後申告」する筈が、
朝来てオルガンを見ると新たに改造したくなる‥を繰り返し、気づいたら、
別物みたいな改造がなされてしまった、という事でしょう。

つまり今の感覚で感覚で言えばバッハ「組織に収まらないアウトロー」的な
「我儘勝手な人物」だと感じる上司も少なくなかったようです。

高い理想の前には下界の思惑は無視する

ところで「バッハは信仰が厚かった」という通説を検証しよう、
というのが小文の始まりでした。

尤も「キリスト信仰とは何か?」という根本がはっきりしないと、
バッハの信仰が厚かったのかどうか判定しようがありません。

とはいうものの門外漢の僕が書物で調べて程度での知識で書きますので、
「間違っていたらごめんなさい」ですが、バッハにとっての「信仰」とは、
「教会で祈る」とか「聖書を学ぶ」に加え、
「勤勉に生きる」事こそが「信仰」の要諦ではなかった、と思います。

言い換えれば「ハードワークする」という事こそ、
「信仰」を「実践」している事であり、いわば
「神の御心に叶っている」状態だったと自覚できたのでしょう。

従って「至高の音」が出るようにオルガンの改造を続ける事は、
バッハにとっての「神に近く行為」であったと言えます。

その至福の時間の前では「教会のご機嫌なんざに構ってられるか!」
という教会にとっては「我慢できない態度」を取っても不思議はありません。

バッハの「不祥事」として「勝手にオルガンを改造する」に加え、
「休暇を過ぎても帰って来ない」「合唱団をまとめれない」という職務上の問題と共に
「オルガン室に女性を連れ込んだ」という個人的なスキュンダルも山のようにありました。

その原因はバッハが「信仰」心を欠く我儘勝手な人物だったからではなく、
バッハ式「信仰」を徹底させてからの教会との「歪み」が生じたから、というのが真相のようです。

という訳で次回は更に教会を悩ませた「休暇を過ぎても帰らない」
「合唱団をまとめれない」「オルガン室に女性を連れ込んだ」という逸話から、
「真実」を考えて見ましょう。

(つづく)

PS. リンクはグレン・グールドによるバッハ曲のオルガン演奏。

本来ピアニストであるグールドが弾くオルガンは、
よくイメージされる「バッハ=荘厳な大聖堂の響き」ではなく、
小学校の足踏みオルガンを大きくした、という規模のもの。

これで聴くバッハもなかなか乙なものです。


バッハ:フーガの技法/マルチェルロの主題による協奏曲/イタリア風アリアと変奏

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バッハは18歳にして年収450万円で「教会オルガニスト」に抜擢 [独断による音楽史]

皆さん、こんにちわ。「教会音楽とバッハの関係」と称し、
「バッハは信仰が厚かった」「信仰がバッハの音楽創造の源」等の
「常識」検証する、という罰当たりな事を始めました。

前回はバッハが少年期を「修道院付属学校」で過ごした事で、
「神学」はさておき「勤労奉仕」や「活動的な身体」という
「キリスト教精神に基づく心身」を培えたようだ、という結論を得ました。

今回は第三回目として、いよいよ音楽家としてのスタートを切る
青年期のバッハの「信仰」を伝記を参照に考えてみました。

最初の「就職」は地元の宮廷楽団のバイオリン奏者

「修道院付属学校」で音楽、一般教養、神学等の学問に加え、
「勤労奉仕の精神」と「活動的な身体」を習得した10代のバッハは、
今でいう「卒業」後、地元ワイマールの宮廷楽団にバイオリン奏者として
「就職」します

尤も当時「宮廷楽師への就職」は、現代の音大生が「競争に勝ち抜いて
念願のオーケストラ入団を果たす」という程にはめでたいものではなく、
現代で言えば「調理師学校卒業後に、志望したホテルのレストランに就職できた」
という程々のめでたさ、という所でしょう。

そもそも当時の音楽家(音楽職人と呼ぶべきか)は、
「特別に才能がある」とか「音楽が物凄く好きだ」からこの道に進む、
というものではなく、特殊な職能とはいえ、現代で言えば、
「家業の蕎麦屋さんを継ぐために修行をする」過程で成れる職業選択の一つでした。

バッハが「宮廷楽団のバイオリスト」に就職できたのも、
「才能に恵まれたから」という大袈裟なものではなく、
現代で言えば「調理師学校を卒業したからホテルのレストランに就職」し、
「見習い」として仕事を始めた、という程度でしょう。

半年後に「新しくできた教会のオルガニスト」に「転職スキルアップ」

晴れて「宮廷楽師」として「新社会人」としてスタートを切るバッハですが、
半年後に、アルンシュタットの新教会に新型オルガンが設置された、
と当時の「就職情報誌」に相当する「口コミ」で聞きつけ早速「転職」の面接に出かけます。

結果はバッハの圧倒的なオルガン演奏に満場一致で採用決定
教会のオルガニスト兼聖歌隊の指導者に「転職スキルアップ」。

「転職」で「年収が三倍」に!

「宮廷楽師」から「教会のオルガニスト」に「転職」したのは、
「信仰が暑いバッハは教会に居たかった」という説もありますが、
やはり「年収アップ」が理由でしょう。

社会システムが現代と異なるので貨幣の価値が異なりますが、
単純に現代の邦貨で換算し、前職の「宮廷楽師」が年収60万円程度、
対して「転職」後の「教会オルガニスト」が年収150万円程度。

恐らく、それぞれの数字を三倍にしたのが現代日本での貨幣価値に
相当すると思われますから、「宮廷楽士(見習い)」が年収150万円、
「教会オルガニスト」が一気に年収450万円に「転職アップ」。

これが当時18〜19歳のバッハの職と報酬ですが、
当時は12〜3歳位から「丁稚奉公」を始め18歳位で「親方」として独立した訳ですから、
当時の18歳は現代の28歳位に相当するでしょう。

つまり現代で例えれば、バッハは28歳の時に、
地元の小さなホテルのボーイさんだったのが、
大きなホテルのフロア・マネージャーに抜擢された、
それまでの三倍の450万円の年収になった、という所でしょう。

ちなみに「宮廷楽士」の給料は安い、という意味ではなく、
バッハがいわば「見習い」だったから僅かな報酬しか得れなかった訳で、
後に別な宮廷の「楽長」に就いた際には現代の貨幣価値で年収数千万円の待遇を得ます。

又、少年期から青年期にかけてのバッハは半年から数年に一度の割合が「転職」を繰り返しますが、
これは「職を転々とした」という意味ではなく、当時から近代に至る欧州では、
同業の中で腕を磨いてはより条件の良い職場へ変わっていく、というのが正常でした。


「見習い楽師」中に驚異的な進歩を遂げた少年バッハ

「修道院付属学校」を「卒業」して一年を経ず「若いが凄腕のオルガニスト」として
ブイブイ言わせ始めるバッハですが、ほんの半年前までは薄給の「見習い楽師」でした。

この辺りについて「伝記作者」は詳しく書きませんが、
バッハはモーッアルトのような「天才少年」ではなく、
最初の職である「宮廷楽師」の際も格別の待遇を受ける存在ではなかったようです。

にも関わらず僅かな期間で他を圧倒するオルガニストに成長し得たのは、
バッハに「才能があった」事は勿論ですが、少年期に兄からの受けた厳しい教育
(=職業訓練)も有効だった事と共に、やはり少年期の「修道院付属学校」で叩き込まれた
「精進努力」という「キリスト教精神」の実践の成果でしょう。

そういう意味でバッハは「信仰が厚い」人と言えますが、
現実のバッハは生涯に渡り、音楽上でも「素行(の悪さ)」の点でも、
教会から批判され続けます。

オルガン室に女性を引き込みクビ(?)に

若くしてアルンシュタットの教会オルガニストという誇らしい職に就いたバッハですが、
前述のごとく「より良い条件を求めて」という理由と、教会側との衝突が原因で、
三年を満たずして「転職」を余儀なくされます。

アルテンシュタットの教会がバッハと対立した理由を並べますと

1,オルガンを勝手に改造する。
2,休暇を過ぎても帰って来ない。
3,「不協和音と不揃いのリズム」のおかしな音楽を作曲する。
4,合唱団の指導がよくない。
5,素行(特に女性関係)が悪い。

等々挙げられます。

要するに教会の立場では、バッハは若くして才能はあるものの、
ワガママ放題で変な事を色々とやる、扱い難い困った人物だった、
と言えた訳です。

ところでバッハと言えば、音楽室の肖像画や荘厳な教会音楽から、
「真面目一方のお硬い人物」=「信仰が厚かった」とイメージされます。

にも関わらず伝記作家がここぞとばかりに書くように、
神聖な礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込んで「お楽しみ」に耽った訳ですから、
「素行が悪い」と言いましょうか「ファンキーなオヤジ」ではなかったのか、
なんだかホッとするような逆のイメージを描いてしまいます。

実際、バッハに計20人の子供が生まれた(生存できたのは10人)事も、
バッハが「精力絶倫」ぶりと共に「ファンキーさ」の心証となり得ましょう。

更に拡大解釈し「バッハの信仰が厚かった」は嘘ではないか、
と言い出す人も出てくる始末です。

実際はどうだったのか?

そこで「オルガン室に女性を連れ込んでバッハはナニをやったのか?」

そのあたりについて「伝記」ではなく、
残された作品から調べてみましょう。

(つゞく)
リンクはグレン・グールドによるバッハの小品集。子供の時や初心者の時に習う曲です


J.S.バッハ:小プレリュードと小フーガ集 ほか(日本独自企画盤)

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「バッハの信仰が厚かった」は本当? 「修道院生」時代の少年バッハについて [独断による音楽史]

前回から「キリスト教音楽」の象徴ともいえるバッハについて書いています。

「バッハは信仰が厚かった」
「信仰が厚いから良い(教会)音楽が作曲できた」
というのが「常識」。

勿論、バッハの膨大な「教会音楽」作品の殆どが歴史的名曲である事は事実です。

或いはカール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団の演奏が、
僕のようなキリスト教信仰がない者までを「敬虔な気分」にさせるのは
彼等の「信仰が厚さ」が好影響している事を疑う要はありません。

しかし、よくよく考えてみれば信仰が厚い」とはどういう状態にある人を指すのか?

更に「信仰は音楽創造に反映するのか?」という根源的な疑問は残ります。

という訳でキリスト教の方からお叱りを頂きそうですが、
「先入観に執われずモノを観る」事は「ピアノやボーカルが上達するコツ」でもある訳で、
今回はバッハについての「常識」を検証してみましょう。

*******
「修道院付属学校の給費生」として過ごした少年期のバッハ

先ずは「バッハの信仰が厚かった」という「常識」を検証する手段として、
バッハの生涯を見つめましょう。

バッハは8歳の時に母を、10歳時に父を亡く、
音楽家だった兄に引き取られ、音楽の勉強に励みますが、
やがて地元の「修道院付属学校の給費生」となります。

この「修道院付属学校の給費生になった」という人生のスタートが、
「バッハの信仰が厚かった」根拠の一つとされます。

ところでキリスト教について復習すると、
キリスト教には、ローマ教会を頂点とする古くからの「カソリック」と、
バッハの少し前の時代にドイツ人ルターによって始まった「プロテスタント」とがあります。

「プロテスタント」は「カソリックに抗議する」という意味で、
同じキリスト教ながら教義が異なり、いわば犬猿の仲らしいです。
尚「プロテスタント」にはルター派、カルバン派、福音派等色々な流派があります。

バッハは「修道院」の付属学校で学びますが、
「修道院」があるのは「カソリック」のみ。

「プロテスタント」は「修道院」を持ちませんが、
少年期のバッハが住むザクセン地方はルター派は例外的に「修道院」か設けられます。

これはバッハにとって幸運な事といえましょう。

バッハの「勤勉」は修道院付属学校の影響?

ところで「修道院付属学校」時代のバッハですが、
「給費生」に選ばれる位だから、成績優秀で信仰も厚かった、
と想像しますが、実は少し事情が異なるようです。

当時の「給費生」は現代の「特待生」とは少し事情が異なり、
成績が優秀だから給費される、という訳ではなく、
大雑把にいえば「経済的事情で学費は払えない」がある程度以上の資質が認められれば、
誰でも「給費生」になれたようです。

つまり当時の「給費生」は衣食住や教育を保障されつつ、
修道院で労働する、いわば「下働き」に雇われた、といえなくもない立場でした。

とはいえバッハが「雑用係としてこき使わた不幸な少年時代を過ごした」訳ではありません。

「修道院付属学校」とは「キリスト教の精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする施設*」
とされます。

言い換えれば学費を納めれる者も給付される者も、学業のみならず、
「勤労奉仕」こそが「重要な科目」であり、
学費を稼ぐためにアルバイトをした、という意味ではありません。

ふと思い出したのが関大徹という坊さんが「禅」について述べた
「食えなんだら食うな」という本を思い出しました。

僕達部外者は「禅」といえば座禅を組んで瞑想をする事が「修行」のように想像しますが、
そうではなく、廊下の拭き掃除から土木工事までこなす「作務」こそが「修行」だ、
という意味の事が書かれてありました。

これも厳密にいえば「キリスト教の修道院」にせよ「禅寺」にせよ、
義務感で嫌々やる、とか学費を稼ぐためにやる、とかは論外。

「しんどい労働を提供する」から「修行をしている」という意味ではなく、
「自分を高める為に労働する」もっと言えば「労働という高める為のチャンスを与えられた」
と感謝できる「精神を培う」事が「修行」だ、という事らしいです。

少年バッハの「修道院生としての成績」は不明ですが、
課せられた「徹底的に身体を動かす労働」に対しては、
「安い給料でこき使われた」とい被害者感覚ではなく、
「身体と行動力と精神力を培う」とか「神への奉仕になる」という
「キリスト教精神」を修得した事は確かです。

教会と揉め続けたバッハの生涯

バッハのキリスト教「信仰の暑さ」については、
次章で述べますが、生涯に渡り「教会」と揉め、
更に職業的な必要性からプロテスタント・ルター派、同カルバン派、
カソリックと「宗旨替え」します。

つまり教会からすれば「突出した有能な音楽家」である事は疑いがないにせよ、
何かと「反抗的」な扱い難い信者であったようです。

ならばバッハの「信仰の厚さ」は大したものではなかったのかと言えば、
「精進努力する事こそ神の心に適う」という考えの履行において、
強靭であった、と言える訳ですね。

おっと時間が来ました。次回はいよいよ教会のオルガニストとして頭角を現しつつも、
様ざまな「けしからぬ行為」等で教会とぶつかり始める青年期のバッハについて述べます。

つづく

PS リンクは関大徹著「食えなんだら食うな」

食えなんだら食うな―今こそ禅を生活に生かせ (1978年)

食えなんだら食うな―今こそ禅を生活に生かせ (1978年)

  • 作者: 関 大徹
  • 出版社/メーカー: 山手書房
  • 発売日: 1978/08
  • メディア: -



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「キリスト教」とバッハの関係 [独断による音楽史]

「教会音楽」の歴史的名曲が目白押しのバッハ

最近、僕の周辺に「クリスチャン」のが増えていて、
時々「キリスト教と音楽の関係」が話題に登ります。

僕自身は「クリスチャン」ではなく、教会に出かけた経験は、
学生時代に合唱団を手伝った位しかありませんが、
クラシックに限らずジャズも何かとキリスト教会と関わってきました。

ですからキリスト教の「宗教音楽(以下キリスト教音楽)」と呼ばれるジャンルが
存在する程ですが、皆さんは「キリスト教音楽」と聞い何を想い浮かべますか?

僕は「バッハのトッカートフーガ」のよなうオルガン曲や
「フォーレのレクイエム」のような合唱曲、
古くはペルコレージの「スタバトマーテル」、
新しくはオリビエ・メシアンの「世の終わりの為の四重奏」
なんてのを想い出しますがいかがですか?

「キリスト教音楽」の作曲家も沢山いますが、
やはり「巨匠」を一人あげるとすればバッハにトドメがさされます。

バッハにはオルガン曲やカンタータ、「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ」他
「キリスト教音楽の歴史的名曲」が目白押しにあります。

音楽的にも凄いが「宗教的」にも凄いのがバッハの「教会音楽」

バッハの「教会音楽」の凄いのは、キリスト教の信仰がなくても、
バッハの「教会音楽」を熱烈愛好する、という音楽ファンが沢山いる点でしょう。

僕にした所で、カール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団による
「マタイ受難曲」等を聴きますと、音楽的にも感動しますが、
何やら「敬虔な気持ち」になる訳で「キリスト教信仰」がほんの少しは芽生えてしまう訳で、
バッハ音楽の「キリスト布教」の「威力」はバツグンですね。

https://youtu.be/pf4UNJqv_-A(リヒターの「マタイ受難曲」の動画)

では、この「威力」はどこから来るのか?
やはり「信仰」の力なのか?

バッハは「信仰が厚かった」は本当?

バッハについては紐解くと「バッハは信仰が厚かった」と書かれてあります。

少年期を「修道院の付属学校」を成績優秀の給費生として過ごし、
最初の「就職」もその教会のオルガニストならば、
最終職も聖トマス教会の学長と付属音楽学校の校長。

何かしら教会と関わり、
生涯に人間業とは思わない程の量と高い質の
「教会音楽」を作曲しています。

「音楽家のキリスト信仰」で思い出すのが前述のカール・リヒター。

リヒターは戦後東西分裂したドイツにて「バッハの教会音楽」の至高を目指して
ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。バッハ演奏では世界一ともいえる指揮者、
チェンバロ、オルガニストであり「バッハ研究」でも世界一。

戦前のドイツで生まれ、何と二百年前にバッハが校長を務めた聖トーマス教会の
付属音楽学校で学びます。しかも成績優秀だったリヒターは、卒業後、
二百年前にバッハ同様に同教会のオルガニスト職に就きます。

ところで「ミュンヘン・バッハ管弦楽団」によるカンタータやミサが、
深い精神的感動を呼び起こすのは、管弦楽団の演奏技術が高い事もありますが、
合唱団について、選抜の条件として、プロに限らず、声が良いとか、歌が上手とか以上に
「信仰の深さ」が求められているからだ、とも言われています。

https://youtu.be/c80yKlT4A74 (リヒターの伝記。合唱団の練習シーンあり)

バッハ音楽の崇高さの理由の一つが「信仰の厚さ」にある事は間違いありませんが、
しかし「信仰」と「音楽創造/演奏」はどう関わっているるのか?
と聞かれると実はよく分からないのですね。

そもそも「信仰が厚い」と言われているバッハですが、
音楽については、教会側から当時の感覚としては「俗っぽい」とか、
「不協和音や攻撃的なリズムが多すぎる」とかのクレームが続出。

長老との喧嘩が絶えず、とはいえ、それが「音楽進化の必然」として許されるとして、
音楽室のバッハの肖像画の「厳しさ」とは逆に、若い頃のバッハは、
礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込み、「お楽しみに耽り」教会から叱責される等、
むしろ松山千春のようなトンデモ人物だったと記録されています。

まぁ「ファンキー」な面が見えてくるのは微笑ましい(?)として、
そもそも本当にバッハは「信仰の厚かった」のか、という疑問も感じてしまいます。

キリスト信仰がバッハの創造性に与えた影響とは?

という訳で前置きが長くなりましたが、
バッハは「キリスト教音楽」に如何に関わったのか?
或いはバッハのキリスト信仰が音楽創造にどのように影響したのか?

その辺りを「先入観」に捉われず、史実と作品から解析する事で、
新たな「真実」を迫ってみたくなりました。

題して僕の独断による「キリスト教」とバッハの関係について、
お話しましょう。

つづく

PS リンクは「カール・リヒター マタイ受難曲」抜粋

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

  • アーティスト: リヒター(カール),バッハ,ミュンヘン・バッハ管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/05/20
  • メディア: CD



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アート・テイタムのようにピアノを弾きたい! [チャールストン倶楽部]

みなさん、こんにちわ。最近は「短文」はFaceBook、動画は「You-tube」に投稿するせいか、
どうも本ブログは書かないまま、と言う月日が流れてしまいます。

ただFace Bookは「僕には合わないな」と最近感じてしまうのは、
「変にハマってしまう」から。

色々と「ネット友(?)」ができ、スマホで興味ある話を交換(投稿)していると、
あっという間に通勤や出張の往復時間なぞ潰れてしまいます。

他の人のように、それ以外の時間は仕事や勉強に熱中していならば、
通勤時間くらいナニをやろうが他人の迷惑にならない限り自由ですが、
僕のように、日中もうつらうつらと働いてるのか昼寝してるのか分からない生活をしてますと、
むしろ「通勤時間帯」位仕事なり勉強しなければ、となります。

その時間がFBに奪われてしまいますと、結局、一日中何もしてない「ニート」と
変わらないので、相変わらず身勝手ながらFBは「仕事の広報」の為に「発信のみ」と割り切りましたが、
どうせ「発信」ならば長文が書きたいのが僕の性分です。

よく「原稿用紙3枚で」とか「十分間のスピーチ」とか頼まれるのですが、
大抵「原稿用紙」三枚の筈が10枚を軽く越し、十分間の筈が30位の話になり、
だからと言って有り難がられのでなく、迷惑がられるのは、
先方の都合もさる事ながら、実際の中身は「現雇用紙一枚」「3分で収まる話」の
内容しかないからでしょう。

関係ない話から入り、関係ない話に飛び、関係ない話で終わる、という
代わりにまとめる人が苦労するのが、僕の文章であり、実際の話ですが、
これは言い訳すれば「ジャズ即興」を生業にしている事が関係するのかも知れません。

とは言っても、マイルス・デイピスとかビル・エバンスとかは、
話したって、ビシーっと最低限の言葉で深い話をキメるのは、
即興演奏でもものすごく密度の高い事をやっているからでしょう。

よくネットの上では「雄弁」というか、チマチマとしつこいメールや書き込みを
「傲慢な調子」でする癖に、いざ会うと物凄く腰が低く、どころか何を聞いても「はいー」
としか言わず会話が成立しない人がいて面食らいますが、その点、僕は、
ネットの文章も長いが、実際もかの田中真紀子センセイのごとく、
めちゃくちゃな内容で、且つ長時間話すから、ネットのリアルの人物像はずれてないでしょう。

うちの周辺にいる人では、最近、一緒に演奏できるようになった(歌が進歩したので)
G子さんが、これ又、よく喋る。二人で「会話」しだすと「下手な漫才」みたいに
機関銃のごとくに喋ります。

僕は子供の頃から青年期にかけて、
自分では「口下手」で「無口」な人だと思ってたし、
実際、そうだったのですが、海外生活が始まって以来、
どうもペラペラまくし立てる癖が止まらなくなり、
色々と失敗する事が続きます。
(その話は別な機械に)

それでも自分の「理想像」は、
人間性でも音楽性でも「坂本龍一」さんのごとく、
クールで、無口だが一言一言が重く深い、というタイプになる事。

少なく共、音楽的には、ある時期まで、そういう事を目指していたし、
自分なりに達成とは言えぬにせよ、ある程度はできた、と思います。

それでライブなりコンサートなりをする訳ですが、
終わってからボサーっと突っ立っていると、気の毒がってくださるのか、
もしかして僕の音楽に興味があるのか話しかけてくれる人がいます。

そういう場合は五分くらいは音楽のイメージにあう自分を「演出」できるのですが、
意気投合する、とか打ち上げになるとイケません。
いい気になると、つい、全然期待されない、違う方向の変な話を機関銃のごとくに
まくし立てる方向のスイッチが入ってしまい、一人だけ楽しい、という困った自体に陥ります。

かと言って「不機嫌」な時は極めて無愛想何ですけど。

それはともかく、どうも自分は、いわば「モノクローム」で「クール」な
音楽と人間性を目指して来たけど、そもそも人間性がそうではないから、
音楽も本当はそうではないのではないか、と思い始める訳です。

それで非常に艶やかで華やかではあるけれど「メチャクチャ」ではない
オスカー・ピーターソンのピアノを「自分の演奏スタイル」の「お手本」と選択し、
そういう方向に自分の演奏わ変えて行きました。

そうすると、今までの「クールな音楽」というのは、
どうも自分にとって「性同一性障」のごとくに「音楽と人間性同一性障害」だったのではないか、
と思えて来ました。それが40歳も過ぎた頃かな。ちょっと親しい、というか知ってる女の子が
レゲエが好きで極彩色の服を来てたりしたのも無意識のうちに影響されたのかも。

それで「クール」で「現代的」な音楽から、「ロマチック」で「感情豊かな」音楽に
切り替え、かと言って音楽なんて「感覚一発」では決してできる訳でなく、
支えるための知識や技術を習得するにつれ、少しつづですが、自分のピアノも
進歩して来ました。

その頃、ボーカルュピアの弾き語り)も始めましたが、
当初はマイクに向かって歌うだけでも恥ずかしかったが、
次第にズウズウしくはなりましたが、いざ録音して聴くと
これが全然ダメ。

という訳で四十も半ばになりましたが、
本格的にボーカルの勉強を始める訳です。

幸か不幸か職業柄、毎日毎日、朝から晩まで、
歌っている訳せいか50歳をコスあたりから、
漸く声も出て来た。

最早、五十も半ばですけど、五年前と比べると、
自分自身はドーッと歳をとってヨレヨレだけど、
ピアノとかボーカルは進歩している訳ですね。

とはいえ、すでにピル・エバンスやなんかが亡くなって年齢になっている訳で、
これは「晩年」ではないか、とふと気づく訳です。

何かかの加減で「伝記を書かれた場合(勿論、そんな確率はぜろですが)」、
今の五十半ばという年齢を「晩年」と言えるかもしれません。

「晩年の藤井はこれこれした」なんて書かれるかも。

なんてバカな話をしてても仕方ない。

それで五十の手習いと言いますか研究課題が、
1930年代に若くして「最初の全盛期」を迎える
ジャズピアノの父、とか「巨匠」と呼ばれるのが
「アート・テイタム」。

超然技法のジャズピアニスト。当時どころか
なくなる1950年代になると殆どのピアニストは、
テイタムが来ると黙って席を降りたのは、
テイタムのスタイルが何十年も先を行ってたのと、
やはり「超絶技法」のピアノテクニックと編曲技法故でしょう。

そんな訳でテイタムが実際に演奏したのを採譜した所で、
そんなもの弾ける筈がありませんが、
実はテイタムが「民生用」に楽譜に残したのが色々とあります。

実は最近「晩年」に達した僕が「お手本」にば閉めたのが
正にこの人「アート・テイタム」。

これはアート・テイタムの自筆譜を含む「編曲もの」。
10分難しい編曲ですが、実は「物凄くシンプル」に「簡素」にした
「民生用」が入っているのが、この本。

「晩年の藤井はテイタムの勉強に没頭した」と言われるようにならねばなりません。

とはいえ私のお薦めがリンクの本。

テイタムに限らずテディ・ウィルさんやフアッツ・ワーラー本人の楽譜が掲載されてします。




The World's Best Piano Arrangements: For Intermediate to Advanced Piano

The World's Best Piano Arrangements: For Intermediate to Advanced Piano

  • 出版社/メーカー: Alfred Music
  • 発売日: 1991/09/25
  • メディア: Kindle版



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Cafe Jazzってなに?大阪梅田KPS音楽教室の内容1 [音楽スタイル]

大阪梅田にある「Cafe Jazz」専門の音楽教室です。

というのが「どんな教室ですか?」とウチ(Kimball Piano Salon)
について尋ねられた時の僕の答えなんです。

「なるほどCafe Jazzですか」
「はい,Cafe Jazzなんです」

分かったような,分からない会話で互いに納得しますが,
「Cafe Jazzとは何か?」という定義は音楽業界(?)にもなく、
双方が勝手にイメージしてるだけなんです。

ちなみに「うちはCafe Jazzの教室です」と申しましたが、
「Lounge Jazz」と称するスタイルも提唱しています。

「Cafe Jazz」にせよ「Lounge Jazz」にせよ、
どこかで聞いた名称だか何なのかよく判らない、と感じられましたか?

逆に言えば「Cafe Jazz」や「Lounge Jazz」とは何か?をご理解頂ければ、
Kimball Piano Salon)の特色もご理解して頂けますね。

という訳で以前から本ブログをお読み頂いている方には何度か繰り返した話題となりますが、
今日は「Cafe Jazz とは何か?」というお話をしましょう。
(Lounge Jazzは次回)


Cafe Jazz =「カフェ・ミュージック」の一種

「Cafe Jazzはカフェ・ミュージックの一種です」と言っても、
そもそも「カフェ・ミュージック」自体が、分かったような分からない言葉なんですね。

ところで「カフェ・ミュージック」にも定義がないと思ってたら、
僕がプロデュースするカフェの音楽を「カフェ・ミュージック」と呼ぶ事は、
「カフェ・ミュージックの定義」に反するからおかしい、と文句を付けられた事がありました。

つけた人は家中CDだらけ、雑誌等から得た知識が極めて豊富、かと言って職業音楽関係者ではない、
という「オタク男性」でしたが、親切心から教えて下さるには、

*「カフェ・ミュージック」とは「DJ某氏が始めた」音楽のスタイル、との事。

従ってDJ某氏と無関係な僕店が「カフェ・ミュージック」を名乗るのは間違っている,
との理屈でした。

僕はDJ某氏のお名前やどんな「音楽編集」をされておられるのか知りませんが、
沢山のヒトが絶賛する位だから、「いい仕事」をされておられ、と思います。

ではDJ某氏による「Cafe Music」のコンピュレーションCDを、
僕がプロデュースするお店でBGMとして流せば最良の効果を得れるのか、
といえば多分違うだろうな、とも思います。

「カフェのプロデュース」と言っても、僕の店ではないから、
オーナーさんの「好み」や経営陣が求める「営業効果」が枠組みとなります。

「営業効果」とは音楽によって「豪華な雰囲気になった」「スタッフの動きが活発になった」
等の「過程」ではなく、ずばり「売り上げが上がる」に尽きます。

これも勘違いされ易いのですが、
「カフェやブティックのBGM」については、
お店のスタッフの夫々が「自分が好きなCD」や「ヒットしているCD」
を鳴らせば済むような気もしますが、話はそう単純ではないのです。

いくらスタッフがカレーが好きだから、と言っても、
スパゲティーを食べに来たお客さんに勝手に出す訳にはいかない、という簡単に理由もありますが、
実は「カフェやブティックのBGM」は単に「雰囲気をよくする」だけでなく、
「客席の流れを作る」という「商業効果」も問われます。

では「軽快な曲」「にぎやかな曲」を常に流せばいいのか、といえば、
なるほどスタッフの動きはよくなるかも知れませんが、
お客さんの側では単にウルサイだけ、むしろBGMに負けないような大声で
話すから単に落ち着かない店になるだけ。

では「静かなバラード」を小音量で流せばいいのか、といえば、
よほど暇なバーはともかく、それなりにお客さんがいる店だと、
なにやら間が抜けた感じになり、顧客満足感の低下を招きましょう。

結局、メニュー、お客さんが食べる速度、時間帯による混み具合、
客層、照明等のを計算して「BGM」をプログラムせねば、
お店の「売り上げ=顧客満足度」があがらない、という結果になります。

僕が「ピアノ生演奏」する場合、客席では、男声(男性の声)が多いのか、
女声が多いのか、何割の席が埋まっているのか、スタッフの稼働率はどうか等で、
メロディーやアドリブを弾く音域がオクターブ変わったり、
曲の調、テンポ、編曲等を変えます。

時々、ボーカルのヒトと一緒に演奏しますが、
僕がリハーサルと全然違うテンポや雰囲気で弾くので、
「わがまま勝手に弾く伴奏者」と思われてしまいますが、
そうではなく「客席の状況と同期させる」事で
ボーカルの価値を高めている訳です。

「Cafe Jazz」はともかく「Lounge Jazz」なんて言えば、
「ゆったり寛いで頂き、もう一杯飲んで頂く」だけ、と思われるかも知れませんが、
「今のお客さんには帰って貰い、待っている次のお客さんに座って貰う」という「回転」
を要求される場合もあり、これが至難の業。

アップテンポでウルサク演奏すれば、単にウルサク会話するので落ち着かないので
「二度と来るか!」と思われたり、会話が困難になるので「回転」が落ちたり。

「充分に寛げた。話もなぜか弾んだ。音楽も良かった。満足したからボチボチ帰るかな」
と実際には短時間で腰を上げて頂く等の矛盾した要素を満たすのが、
少なくとも僕が「Cafe Jazz」や「Lounge Jazz」としてカフェ等の商業空間の
プロデュースをお請けする場合の職能でしょう。

話が脱線しましたが、冒頭の「DJ某氏によるカフェ・ミュージック」も素晴らしいものでしょうが、
それを僕関係のカフェやラウンジに持ってきても必ずしもベストでない。

「DJ某氏」の「カフェ・ミュージック」はあくまで「DJ某氏のカフェ」でのみ
最良の「カフェ・ミュージック」だと言い切れるでしょう。

むしろ「どんなカフェか?」が問題

おっと「Cafe Musicとは何か?」というお話でした。

何の事はない、そのカフェでBGMやライブとして用いられる音楽が、
そのカフェにとっての「カフェ・ミュージック」になる、という屁理屈みたいな解答になりました。

まぁ「売上げの向上」はこちらの職能としてさて置き、
「どんなカフェ・ミュージック」は結局「その店がどんなカフェなのか?」
という点に尽きます。

まぁ「カフェ」と言うだけで、何となく「お店の雰囲気」がイメージされますね。

テレビが付けっぱなしで、カウンターに座った競馬新聞を読んでるおじさんが
ライスカレーを食べているようなお店は、例え店名が「カフェ何々」でも『カフェ』
とは呼ばず「喫茶店」と呼ぶのが日本の慣わしのようです。

法的には珈琲等の飲物とサンドイッチやカレー程度の軽食のみの店が「喫茶店」
ランチやアルコール類があるのが「飲食店」で、いわゆる『カフェ』は「飲食店」となります。

従って法的にはスタバは「喫茶店」、
お昼の定食と競馬新聞がある設置された「純喫茶」は「飲食店」となります。
(注、実はスタバやマクドは「喫茶店」でもなく、飲食物の販売店であり、
購入した客が店内の空間で食べている、という法解釈な筈。)

そんな法律上の扱いは別として、一般的な感覚ではメニューではなく
「雰囲気」の違いが「喫茶店」と『カフェ』の違いでしょう。

ちなみにカウンターに座って、遅いお昼として「ライスカレー」と食後の珈琲を摂りつつ、
隣で競馬新聞を読んでいるオジサンと並んで、店のママさんをカラカイながら、
僕がこのブログを僕が書いている、ここ「カフェ・モンパルナス」は「喫茶店」でしょうけど…。

という訳で、僕達の「Cafe Jazz」は「Cafe Music」の一種ですが、
そもそも僕達なりに想定した「Cafe」の空間がある、という事になります。

では、どういう「Cafe」を僕達は想定しているのか?

という「Cafe論」に続いてします。(以下、次回に続く)


PS リンクはビクターの「Lounge Jazz」CD


JAZZ ELEGANCE~オーガニック・ヴォーカル

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  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2013/09/04
  • メディア: CD



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今年も「チャールストン」「Lounge Music 」「Shizen」の三体制で展開します! [Kimball Piano Salon]

遅くなりましたが、新年おめでとうございます。皆さん、如何お過ごしですか?

僕の方は、このブログこそ長らく休止しておりましたが、
実際の「活動」は相変わらず続いておりました。

ただ「発信」は、このブログから遠ざかり、
「一見は百聞にしかず」と「You-tube」での動画公開が中心となり、
思いつきはFace-bookで短文を書く、と具合に落ち着きました。

ちなみに「You-tubeで発信する」と称しても、僕の場合は、
固定したカメラを回しっぱなしで録画したレッスンやリハーサル風景を、
編集等は一切せず、適当なコメントを添えてアップロードするだけ、というルーズなもの。

元々は僕達が自分のレッスンやリハーサルを後から観直す為に録画したに過ぎない、
第三者には「何をやっているのかよく判らない」筈の動画にも関わらず、
内容を察さられるらしく、レッスンやビジネスのお申し出を頂くことが増えました。

「動画」としてはルーズなものですが、僕達が提唱している「Lounge Jazz」や
「チャールストンRag」みたいなスタイルのピアノやボーカルに興味がある、とか、
「うちで演奏して欲しい」とか思う人が広い世間には結構おられるのだ、と認識した次第。

結局、動画自体は「カメラを回しっぱなし録画した」だけの代物ですが、
ちょっとコメントを沿え、連絡先も明記する事で、「広報」の役割は果たせるようになりました。

従ってプログの「広報」としての役割が減少したな、と。

*ブログを発信基地にしよう!

「広報」目的ならば「You-Tube」とFace-bookで賄えるので、
ブログは不要ですが、個人的には思わぬところで障害が出てきました。

僕の職業は「音樂講師」や「演奏者」ですが、
誇大表現すれば「経営者」でもあり、
滅多に仕事が入りませんが(汗)「ディレクター」でもあります。

僕は「演奏者」としてはジャズ系だから、
「一段譜」だけ持参し、ピアノで「即興」すれば済むようなものですが、
「編曲」担当でもあるので「伴奏」用のスコア(ベース、ギター、ストリングス等)を
書かねばなりません。

幸か不幸か、うちの「ジャズピアノ/ボーカル科」のレッスンで用いるのカラオケ伴奏は、
全て僕が制作しており、僕がサボるとレッスンのレパートリーが増えないので、
否応なしに「編曲」作業をする必要があります。

大した事をやる訳ではありませんが、二十年近くこんな事を続けていますと、
それなりに熟練し、五線紙に向かうと自動書記の如く、
ハーモニーやら各パートやらが書き込まれる「手」に成ります。

「音楽講師」としてはレッスン現場では「適応な事を喋り」、
前述の如く、それを「録画」にすれば「広報」も賄えるものの、
その都度、書き付けたり、喋ったりするだけでは不便なのと、
出版社とも関わっているので、原稿として固定した「教則本」にまとめる事も求められます。

或いは、リー・エバンスや、ジュディ・カーマイケル等の海外のメソッドの国内紹介も業務とする関係、
翻訳に加え、日本人向けの解説本も書かねばなりません。

ついでに言えば「ディレクター」稼業とは、
何かを依頼されて始める場合もありますが、
頼まれてもないのに勝手に「企画提案」を持っていく、
というか「頼まれる」事が最大の仕事とさえいえる訳で、
何かと「プレゼンテーション」資料を作らねばなりません。

蛇足ながら「プレゼンテーション」とやらは、
僕の場合、「手書きでサインペンで紙に大きく書く」を数ページ、
後は「気合」で話す、というアバウトなものですが、
話が進みようであれば、逆に細かい資料が必要となります。

結局、「編曲」以外は何かとパソコンに向かって、
最低A4三ページの文章をどんどん量産せねばならない筈が、
「ブログ書き」を止めて以来、億劫になり、仕事にも悪影響が出始めました。

それ故、どうも常日頃からパソコンに向かい何ページかの文章を
書く習慣を維持した方がいいのではないか、というのが一点。

それと共に、そもそもブログを書き始めたのは、
音樂教室&事務所の「広報」目的ではなく、
自分が想っている事を書き表す、というか整理する為でありまして、
それには「つぶやき」ではなく、何ページかの文章にするべきだ、というのが一点。

更にFace-BookやYou-tubeとのリンクが可能なので、
短文や動画だけではなく、このブログに先に文章として書いた方が
もし興味を持って下さる方が現れた場合に便利だろう、という事が一点。

以上の三点で「昨年までは分散していた発信基地をこのブログを基地としてまとめる」
のが何かと良い、という結論になりました。

という訳で勝手を申しますが、本年もこのブログをよろしくお願いします!

今年も「チャールストン倶楽部」「Lounge Music Project」「Shizen」の三体制で

おっと肝心な事を忘れていました。

Kimball Piano Salonは今年も上記の三体制で音楽振興を進めます!

ご存知のごとくウチ(Kimball Piano Salon)は「体制」を云々する程の人員も場所も予算もない、
極めて小さなスタジオ&スクールですが、一口に「ジャズボーカル」と呼べど十人十色で、
夫々ビミューにスタイルが異なる訳で、どうしても幾つかのグループに分ける必要が生じます。

基本的には「カフェ・ジャズ」とか「ラウンジ・ジャズ」とか呼び、
互いに「こんな雰囲気のジャズのスタイルだ」と漠然と共用するイメージがありますが、
突っ込んでいけば、更に分類できてしまいます。

例えば「チャールストン倶楽部」では1920~40年代の「レトロなスゥイング・ジャズ」を志向する、
と称していますが、いざレッスンとして、きちんと学ぶ場合、同じ1920年代の「ストライド・ピアノ」でも
シカゴ(ニューオリンズ)スタイルとニューヨーク(ハーレム)スタイルでは相当に違う訳で、
ましてや1930年代、1940年代と「年代」が異なれば音楽理論さえ異なってきます。

僕自身は色々なスタイルがごちゃ混ぜになり、且つ自分式の再構築を経て、
いわば「自分のスタイル」というものを持つ訳ですが、正式にレッスンする場合は、
僕のスタイルをお教えしても仕方なく、原型である「ハーレム・ストライド」とか
「スゥイング・スタイル」「バップ」等を個別に学習して貰う事になります。

或いはウチが時々主催する「カフェライブ」なんぞも、
今後は外部のプロ/アマ・ミュージシャンの方もご参加頂ければ、
と願いますが、漠然と「ジャズ」と呼びかけると相当に異なるサウンドが鳴り響く場合もあります。

勿論、グループごとにガラっと雰囲気が変わるから聴いてて楽しめる、という場合もありますが、
ウチの場合は「エンタティメント」という面と共に「音樂研究/教室」という面もありますから、
例えば「ニューオリンス・ジャズな人、集まれ!」とある程度、似た者に集まって頂きたい訳ですね。

但し、うちの根本的な考え方として、あくまで「勉強」という観点では、
ニューオリンズなりハーレム・ストライドなりブルースならを「正統的な方法」ができるように
習得して頂きたいのですが、「エンタティメント」つまり「仕上げて発信」という場合は、
むしろ夫々の感覚も加え、矛盾するようですが「ジャズ畑」のおじさん相手ではなく、
普通にJ-Popしか聴いた事がないような「民間人(笑)」が楽しめるよう、
総体としては「高級なポップス」という枠組みに流し込みたい、というのがあります。

専門家に聴いて頂くと「ジャズとしてちゃんとした技術と知識の上に成立している」となるが、
ケーキ屋さんみたいな場所に突然出てきて「ジャズなんか聴いた事もない」人でも
聴いて楽しめる、まぁ上から目線でいえば、これをキッカケにジャズに関心を持って貰えるような
音樂をご提供したい、というのが根本的考え方。

それ故、専門的には特定のスタイルに基づいているが、
全体として「カフェ・ミュージック」やら「ラウンジ・ミュージック」に収まる音樂として

1,チャールストン倶楽部

・チャールストンRag
・シャノワールSwing

2, Lounge Music Project
・ビンテージSwing他

3,Shizen

・Kids Jazz
・ひばりジャズ
・Salon Classic

という具合に独自の「スタイル名」をつけて夫々で展開する次第です。
おっと時間が来ました。続きは次回。

PS リンクは「チャールストン倶楽部」で展開する「シャノワールSwing」の新しいピアノ教材。

米国の「ストライドピアノ」の人気ピアニストで教育家でもあるジュディ・カーマイケルさんの教本。
中級以上対象



Judy Carmichael You Can Play Authentic Stride Piano: Piano Solos

Judy Carmichael You Can Play Authentic Stride Piano: Piano Solos

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Alfred Pub Co
  • 発売日: 2011/04
  • メディア: ペーパーバック



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NYに行かなくったって、ジャズのリズム感は日本で修得できます! [レッスン]

名古屋在住の祥子さんという女性から頂いた
「Swing感覚を身に着けるにはどうすればいいか?」
というご質問への回答を前回から書き始めました。

尤も例によって僕が前回の続きを直ぐに書けない中、
祥子さんから「追記」メールが届いたりもしました。、

…少し日が空きましたので話を復習しましょう。

祥子さんは現在のお仕事は「ピアノ講師」ですが、
元はジャズ専門学校に通い、ジャズピアニストを目指したそうですが、
自分のジャズに確証を持つに至らなかった事もあり一旦「ジャズの道」を断念。

やはり、ジャズをやりたくなり、ピアノ講師職の傍ら、
知人の「ニューヨークでの十年の修行」をされたプロのベース奏者の方と
時々一緒に演奏するそう。
ジャズ演奏するそう。

問題は、ベース奏者さんから「リズム感」について「駄目出し」をされるのは致し方ないとして、
「日本に住んでいてはジャズは理解できない!」と生活を根本的に変えねばならないような話も頂、
今後どうしたものか?と途方にくれておられる、との事。

ちにもにベース奏者さんが祥子さんに指摘というか「駄目だし」したのは下記の部分。

ニューヨーク帰りのベース奏者さんが指摘した事く

・日本人には「Swing(ジャズのリズム感)」は理解できない。

・「Swing(ジャズのリズム感)」は学べるものではない。

・「Swing」を修得しようと思ったら、自分(ベース奏者さん)のようにNYに住み、
 黒人ミュージシャンとのセッションを重ねないと駄目だ。

こういう話はよく聞きますよねぇ。

ちなみに祥子さんかせ「追記」として下さったのも上記に関しての話。


゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛ある日本人ピアニストのNY体験(祥子さんのメールより転載)

あるジャズピアニスト男性が書いた日記を読みました。音楽以外の勉強でアメリカの大学に入り、仕送りの少ない彼は毎日芸術学部室に入り浸り、ピアノの練習をしているうちに地元の貧乏黒人ミュージシャンの友達がたくさんでき、演奏活動をして絆が生まれたそう。その時、黒人の痛み、悩み、叫びをたくさん聞いて音楽に対する姿勢が変わったと。ジャズは遊びではなく生活に根ざしており音楽だけは白人も取り上げることはできないし、自由に自分を表現する唯一のものだからそれがなくなることなど有り得ないと。ジャズの生まれた経緯を知ると自分の気持ちも変わると。でも彼らには、君は帰るところがあるからいいよな、と言われたそうです。

*****************************************:
もう、こうなったらNYに住み、黒人ミュージシャンとセッションを重ねない限り、
「ジャズの習得」は不可能になってしまいます。

僕も、この話について「ホンマでしゃろか?」と聞かれる事がままありますが…。

それについては、僕は真偽を語れる程には「NYジャズ生活を」を識っている訳でもなく、
そもそも「NYなんか行かんでもエエよ、ウチに来てくれたら」という立場で教室を営む以上、
今ひとつ公明な話はできないかも知れません。

(尤もNYとは全く縁がない、かといえば、NY州立大学のLee Evans教授の「ジャズメソッド」普及や、
「チャーリー・パーカー時代からの名ピアニストであるバリー・ハリス&三上クニ氏による
「NYスタイルジャズピアノ」教程普及ま日本代表(?)的もやっていますが…。)

だけども、何が何でも「NYに行き」「黒人ミュージシャンとセッション」を重ねないと、
「ジャズピアノの修得は不可能だ」という考え方には賛同できないのも確かです。

そういえば、前回は「Swing」という事場自体が、、
「Swing Jazz」「スウィングしている」「ジャズのリズム感」の三つの意味がある
という事をお話すると共に、それらは相互に関っており、次回は、その一つ一つについて
ご説明しましょぅ、という話で「続き」に持ち込んだ経験があります。

それで、実際、「Swingの三つの意味」を今日はお話する心積もりですが、
よくよく考えてみればね更に大きな問題があったな、と気づいた次第。

つまり「何が何でもNYに住まねばならない」「絶対に黒人と魂の交流」をやらなれば、
「ジャズ」はできない、という一種の「伝説」を打ち破る事が先決かな、と気づきました。

*****
おっと、又しても時間切れとなりました。

この続きは又、明日にでも。又、引き続きお読み下さいませ。

PS, リンクは僕が12才のと時から好きだったバリー・ハリスのレコード。

Kimball Piano Salon 音楽教室主宰 藤井一成

COMPLETE LIVE IN TOKYO 1976

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: JAZZ LIPS
  • 発売日: 2009/04/30
  • メディア: CD



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ジャズのリズム感を学びたい、というご質問を頂ました。梅田Kimball 音楽教室 [レッスン]

皆さん、こんにちわ。ブログの更新は止まったままでしたが、以前の記事を読まれ、
僕の教室へのお問い合わせやご意見・ご質問を頂く事は時々ありました。

今日も祥子さんという方から「ジャズのリズム感」についてのご質問を頂きました。

たまたま更新最中の(といっても相当以前から取り掛かってはいますが)ホームページでも
「リズム感」について述べるべき原稿を書いておりまして、ジャストタイミングという訳で、
久々に祥子さんからの質問メールと回答をここで公開させて頂く事にしました。

先ずは公開の許可を頂いた祥子さんからのメール(プライバシーに関る部分等は削除)から。

******************************************************************
はじめまして。わたしは名古屋に住むピアノ弾きの40代女性で祥子と申します。

最近一番気にしているのが「Swingするにはどうすれば良いか」で、
あなたの書いている「ドンパン節」の記事を読んで自分の知りたいことがわかりました。

日本人のジャズと黒人のジャズには明らかな違いがあり、
同じように演奏することは叶わないかもしれませんが、どうしても知りたい世界なのです。

わたしはクラシックピアノを小学生から高校生までやり、ジャズの専門学校に2年通いましたが、
ジャズ無理と思い、ポピュラー・ピアノ講師を生業に選び、ジャズから逃げました。

でも3年前ジャズ熱が蘇り、意を決して一から学び始めました。

まだアマチュアと演奏することが多く、プロの仲間になるには腕前が不十分ですが、
とにかくなんとか脱皮してステップアップしたいのです。

そんな折、昔NYに10年住み、デビューを果たして日本に帰って来たベーシストに出会い、
図々しくも演奏させて頂いています。

彼は「NYに行かなければ何も理解はできないしジャズはできない。
swingするかしないか、それが全てで、日本でできる者はいない」とハッキリ言います。

確かにそうかもしれませんが、現実的にNYに住むのは無理なので解決の糸口を探しています。

自分ではまずフレージングやイントネーションが違うと感じます。

また、ドラムとベースに対してどうノるか、リズムの捉え方も間違えているかもしれません。

とにかくswingできるようになることがわたしの望みです。教えて頂けませんでしょうか?

祥子

*********************************************
以下、僕(藤井)の回答

祥子様

メールをありがとうございました。

実は僕の教室(大阪梅田にあるKimball Piano Salon)のホームページを更新する事になり、
その中で「ジャズのノリ」について述べるべく原稿を書いていた所でした。

ご質問と関係ない話になりますが、HPの更新は、一年前位に既に「Sould out」状態に陥り、
生徒さんの新規ご入に対応できなくなっていたのが、最近、ボーカルのRumiさん、
ピアノのトモさん他が講師陣に加わり、キャパが増えたので、現金な話ですが、
再び「生徒募集」しよう、という魂胆が一つ。、

もう一つは「KPS音楽教室」として「発信」という程ではありませんが,
思い付くままにお話ししてきた事…今回のご質問である「ジャズリズム」についても…
をHPに文章としてまとめておくと、何かと便利だ、という気持ちになりました。

という話はさて置き,ご質問の「どうすればSwingできるよにうなるのか?」ですが,
その前に,そもそも「Swing」とは何か?という部分を明確にしておきましょう。

三つの意味がある「Swing」という言葉

実は「Swing」には下記三種の意味があります。

1,「スゥイングジャズ」というスタイル
2,「スウィングしている」という状態
3,「スゥイング」=「ジャズのリズム感」

ご教示されたベーシストさんは3「ジャズ・リズム」という意味で「Swing」を使われたようですし、
祥子様も「どうすればSwing感=ジャズリズムを学べますか?」というご質問でした。

一般に「Swing」は、別な意味を持つ三種類の言葉、として用いられる訳で、
祥子様も「スゥイングジャズの事なんか別に知りたい訳ではない」し、
「スゥイングしている=ノッてる、なんか教えて貰わなくても分かる」と思われるかも知れません。

しかし僕は三つは互いに関係があると考えています。

日本の「ジャズ界(?)」では「スゥイングジャズ」の事はあまり関心が払われないし、
精神的な意味での「スゥイングする」について今ひとつ考えていないようです。

よって「どうすればSwingできますか?」という祥子様からのご質問とは一見遠くなりますが、
そもそも「Swingの三つの意味」」とは何か?についてご説明しましょう。

先ずは
1, Swing Jazzという「音楽様式」
について。

つづく

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室主宰 藤井一成
http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball/Kimball_Piano_Salon
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