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ジャズピアノ講師は「嫌々やる仕事」? [レッスン]

こんにちわ。前回から僕の職業である「ジャズピアノ講師」とはどんな職か?
について書き始めました。

「ジャズピアノ講師」なぞ誰でも出来そうで,基本的にジャズピアノが弾けないと駄目だし,
一応は「教育とは何か?」という概念や方法を持たないと成立せず,
それなりのスキルが要求される仕事なんですね。

かと言って大学教授のように社会的地位もなく,ジャズピアニストのように華々しくもなく,
下手すると「本当は演奏業をやりたいのだが仕事がないから,仕方なしにやる」という面白くはないわ,
冴えないわ,という最悪の職の一つといえなくもありません。

そういえば,何時だったか僕の事務所にお見えになった「プロピアニスト」を自称される方と歓談の際,
「友人知人のジャズピアニスト達も音楽教室等でレッスン業をしているせいか,ストレスが溜まり,
暗い顔をしてます」とか言われました。

解説しますと「プロピアニスト」や「現役ミュージシャン」と称しても,殆どの方が演奏活動では
生計が立たず例えば運輸業やサービス業等のアルバイト,もしくは,そちらを本職にされ,
漸く生計を立てられる方が少なくありません。

その中で比較的「音楽関係」と言えるアルバイトが教室や学校の「講師」業です。
よく「現役ミュージシャンによるレッスン」を謳う音楽教室がありますが,
まぁ「演奏業で食えないから」やっておられるのかも,と思ってしまいます。

だからと言って,その先生のレッスンが悪いとは限らず,逆に「講師」専業だから
と言って良いレッスンができるとも限らないのは,結局は「ジャズピアノ演奏」自体の
スキルの多少が大きく影響するからでしょう。

それはさておき「プロピアニスト」や「現役ミュージシャン」の本音として,
「楽しい仕事」=「演奏業」で,「生計を立てる為に嫌々やる仕事」=「講師業」
という図式を等の「講師」自身が画いてしまう場合も少なくないようです。

では僕はどうなのか?と問われれば,正直言って
実は僕はやや特殊といいますか,二十代は「演奏業」では稼げたものの,
そもそも「講師業」には就けず,三十代半ばから漸く「講師」としても売れ始め(?),
しかし音楽教室を独立開業した四十代からは「演奏業」で稼ぎ,その稼ぎを投入して
「教室=講師業」を維持する,という図式が続きました。

早く言えば「演奏業」の方が稼げた,という訳ですが,
かと言って別段に「演奏業」が好きで堪らない,とかステージに登ればワクワクする,
という事は全くなかった,というのが正直な所です。

むしろ「演奏業」なんて大嫌いだったけれども,「講師業」もそんなに好きでもなく,
といっても「生徒さんへのレッスン」自体は割合に楽しく,しかし,教室経営者である
楽器屋さんやら会社との「音楽観のズレ」といいますか,全員ではないが,
そもそも「音楽観」自体が欠落した御仁とのやり取りが苦痛でした。

それ故,四十代以後は,自分の音楽についてご理解や何らかの愛着がない方との
お仕事はなるべく避ける,といいますか,この業界,余程に営業しないとなかなか仕事がない訳で,
自動的に失業しつつ,それでもご関心を持って頂ける僅かな方々との仕事が結構増え,
「演奏業」「講師業」とも結構忙しい年月を送る次第です。

そういう意味で別段「演奏業」だからと言って楽しい訳でなく,
変な空間での演奏は「苦痛」だし,別にブランドは問わないが,
メカニックが駄目(=タッチが重い)なピアノでの演奏は不可能だし,
逆にいえば,五万円の電子ピアノだろうが,客が三人しかいなくても,
好い雰囲気ならば「楽しく」演奏できましょう。

「講師業」にしても,講師やミュージシャンといった「上級」は大事で,
初心者は適当でいい,なんと思った事はなく…まぁ,教える側からすれば,
初心者も講師/ミュージシャンも五十歩百歩な訳で…,
「初心者」さんのレッスンも楽しければ,逆に「上級」のがつまらなかったりします。

但し,正直な所,演奏するにせよ,レッスンするにせよ,
お客さんや生徒さんの質(?)によって僕自身が楽しかったり,楽しくなかったりする訳でなく,
端的には演奏終了後に「とても良かったです!」といわれたから楽しい気分になり,
誰も聴いてない(という事は流石にありませんが)からといって落ち込むという事もありません。

これは驕慢な言い方でしょうが,一々,相手の反応で自分が上がったり下がったりしてては,
四六時中不安になりましょうし,かと言って,よくニヒルなミュージシャンが口にする
「誰のためでもない自分のために演奏するのだ」というのも違和感があります。

演奏なんてものは旨くいく時もあれば,駄目な時もありますが,
自分が何かを造る,というよりは,神憑りとかではありませんが(笑),
自分がちゃんと筋の通った演奏ができれば,既に異次元の世界(!?)に存在していた音楽に
アクセスでき,好い演奏として具現化できる,という感じ。

別に自分の為に演奏している訳ではありませんが,ミュージシャンにとっての,
最も熱心な観客兼ディレクターは自分でありましょう。

それ故,ちゃんと演奏できれば,好い音楽が具現化でき,
それを聴いた自分としても「なかなか好い音楽だぞ!」と嬉しい訳。

或いは生徒さんに対するレッスンですが,
本来は生徒さんの進歩向上という,いわば「人の幸せ」を願う気持ちを動機とするべきでしょうけれど,
正直言って僕の場合は人格が悪いせいか,どうも,そういう気持ちだけでは成り切れない。

むしろ生徒さんに自己投影をしてしまう,というか,そこに居る生徒さんは自分自身であり,
いかにして弾けるようになるか,歌えるか,或いは理論上の理解ができるか,が,
言葉の意味は違うが「我が事」の如くに感じてしまう訳です。

最近のお医者さんが,パソコンの画面ばかり眺めて,前にいる患者の顔を見ない,という
苦情とか,散髪屋さんが,その人の頭髪のみを見てしまい全体に関心を払わない,とかいう
偏りが生じる場合がありますが,僕の場合も近いものがあります。

ピアノの前で苦戦しているか,或いは変なまま弾いてしまっている生徒さんというものは,
自分の分身みたいなもので,それをちゃんと弾けるようにさせる,という事は,
自分自身の進歩みたいなものであり,とどのつもり,「できるようになる迄レッスンしてしまう」
という教室経営的にはあまり宜しくない事態を招いてしまいます。

前述の「プロピアニスト」さんが言うように,面白くなそさうに,レッスン時間を付き合い,
自分の知識や技術を切り売りするような「現役ミュージシャンの講師」からすれば,
そんな仕事はタコが自分の脚を食べているようなもので,そのうち,擦り切れてしまうでしょうし,
レッスン時間の半時間なり一時間は退屈な時間に過ぎないでしょう。

ちなみに「現役ミュージシャン」とやらもピンからキリ迄あり,言っちゃあ悪いが,
ミュージシャンとしての技能が上がる程に「講師」としての質も高くなるし,
且つ,教える事を「楽しめる」筈で,もし「つまらなそうに」レッスンするとしたら,
ミュージシャンとしても大した事はない筈なんですね。

よく聞く,誰だったかは忘れましたが大ピアニストの説として,
「ハ長調の音階が本当に弾ければ大したものだ」というのは真実であり,
まぁ僕は「音階練習」自体あまりやりませんが,例えばオスカー・ピーターソンの
練習曲(日本ではヤマハから「オスカー・ピーターソンのハノン」という珍訳で発売)
の一番を「本当」とはいえぬにしろ,或る程度以上ちゃんと弾いて貰う事に躍起になってますねぇ。

「プロのピアニスト」とか「現役ミュージシャン」にとっても「オスカー~一番」を本当に弾く,
というのは物凄く難しい事なのです。

この曲,譜面だけ見ればバイエル程度でも充分に弾けますけれども,
だからといって「ハノン」だかの「無意味な指の体操本」に倣い,
それも矢鱈と早く(速くでなく)弾けば済む,というものでは全くありません。

テンポを別に四分音符210とかでなく40でもいいですから,
ちゃんとした奏法で,ちゃんとしたジャズリズムで,フレージングを取って弾く,
なんて事は「プロピアニスト」だろうが大変なんです。

蛇足ながらメトロノームのカチカチに合わせてテンポ120で弾けているから,
といって「本当」のリズムが取れているか?といえば「現役ミュージシャン」でも,
まぁ取れていない。一見120でも,本当の「ノリ」としては四分の一のテンポ30位なんです。

日本人のリズムが悪いというか,クラシックにせよ,ジャズにせよ,
欧米音楽の「ノリ」は天然にはできず,普通のアマチュアとかピアノ講師で
テンポ40以上の「ノリ」ができる人はというは皆無に近いんです。

勿論,実際には遅くとも64位,モデラート・スゥィングで100とか120とかになりますが,
それをできるようになる為には,端的には身体の筋肉の付き方を変えねばならない訳で,
そういう方向での「オスカーの一番」をレッスンする,となれば,1曲だけでも一時間は
費やされてしまうんです。

或いは僕自身は,自分の「練習曲」としてアート・テイタムとかテディ・ウィルソンとかの
いわゆる「ニューヨーク・ストライド・ピアノ」の巨匠の採譜楽譜や本人の編曲楽譜を課題にしています。

「ストライドピアノ」とは僕が主宰する「チャールストン倶楽部」で推進する1950年代以前のジャズ系音楽
におけるピアノ・スタイルですが,よりによってテイタム等の1930年代の「ニューヨーク~」派は,
ショパンやリスト或いは当時「ニューヨーカー」だったラフマニノフ等のクラシック・ロマン派の影響が大で,
華麗なピアノ技法による演出があり,取り敢えず単に譜面を鳴らすだけでも結構大変。

宣伝すれば,僕自身は,そんな「華麗なピアノ技法」で圧倒する,なんて無理だし,
そもそも今の時代の感覚としてはゴタゴタし過ぎるから,もっとシンプルにした演奏を目指す,
というか,それより他にやりようがないのですが,「練習」自体はテイタムを用います。

別に「練習」だから「難しければ難しい程良い」という変な考え方ではなく,
テイタムとか,その流れを汲むオスカー・ピーターソンとかは「演出」上,
「華麗なピアノ技法」がぶち込まれているけれども,そんな表層を取っ払うと出現する
「本質」がとても深く,むしろ,そちらに毎日触れたい,という意識から「練習」課題として最適だ,
と思う次第です。

それでテイタムの場合は「華麗なピアノ技法」がちょっと面倒ですけど,
一般に左手で一拍毎に用いられる「10度(ドからオクターブ上のミ)」が難儀。

僕位の身長(180センチ)でも10度なんて易々とは届かないし,
且つ,一拍目で10度を弾き,グーンと上がって中域で和音を弾き,
再び下がって10度を弾く,というのは,なかなか難しい。

だからと言って只管に練習を重ねれば「指が広がる」とか,
無理やりにでも弾けるようになるのか,といえば,
あまり綺麗には弾けない筈なんです。

鍵盤は底までしっかり落とすべき(「押さえる」ではなく)ですが,
カチコチの手首て引きつったように広げた手で幾ら練習を重ねて,
音が汚いのはともかく,その内,手を壊してしまいます。

勿論,米国人と日本人とでは物理的に手の大きさが違う,という事もありましょうが,
実は十度を連続する「ストライドピアノ」が流麗に弾けない要因は,
「音楽の流れ」を掴んでいない事と,身体全体の筋肉の使い方が宜しいないからなのです。

それ故,僕も「練習」する際には,単に音を追うだけではなく,
身体の流れをどうすれば良いのか,色々とチェックします。
そうなると,当初は到底弾けそうになかった音が,結構,
楽々と弾けるようになります。

同様に生徒さんのピアノは,色々な部分で身体の流れが宜しくなかったり,
関節が固まっていたりする訳でそれをチェックし,正しい流れに変える事で,
それまで弾けなかったフレーズが弾けるようになったり,
鉄板を叩くみたいに弾いていたのが柔らかく弾けるようになったりします。

身体の造り同様に,生徒さんが抱えている奏法上のトラブルなんてのも,
十人十色ですから,それをチェックし,どうするべきかを教える,というのは,
結構難しい仕事ですが,それをする事で僕自身が凄く勉強になります。

僕は前回書きましたように,教室では,
ジャズピアノやボーカル/弾き語りを担当し,毎日,色々な生徒さんに接します。

確かに自分自身の「技術や知識」を切り売りする部分もありましょうが,
むしろ教える事を通し,新たな「技術」を習得し,「知識」の整理ができると思います。

そういう意味では教えれば教える程に,僕自身が進歩できるのですね。

且つ,進歩できる事は重要で且つ喜ばしい事です。

そんな訳で「演奏業は楽しいが,レッスン業は楽しくない」という話には全く賛同できないのは,
結局の所,レッスンを通し,自分が進歩できる訳で,熱心に教えれば教える程,
生徒さんのみならず僕自身も進歩ができ,これはとても「楽しい」事です。


PS,リンクは本文にも登場した「オスカー・ピーターソンの練習曲」


Jazz Exercises, Minuets, Etudes & Pieces For Piano

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  • 作者: Oscar Peterson
  • 出版社/メーカー: Hal Leonard Corp
  • 発売日: 2005/10/30
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「ジャズピアノ講師」というお仕事 [レッスン]

皆さん,こんにちわ。最近「サロン・ドゥ・アヴェンヌ&チャールストン倶楽部」の話題を
続けていましたが,僕達のリハーサル風景の動画を観られた方から
「こういう風なジャズピアノを弾きたかった!レッスンして貰えるか?」
というお問合せを頂きました。

ありがとうございますっ!

ご存知の如く(?)僕は大阪梅田にてKimball Piano Salon(KPS)という
小さなピアノスタジオ&音楽教室を主宰しておりますので,
レッスンにご関心のある方は下記ホームページをご覧下さい。

http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

ところで僕が主宰するKimball Piano Salon音楽教室とはどんな教室や?というお問合せを頂く事があります。

他の教室がどん自分の教室がどんなだか知らないので,比較して自分の所がどうか,
なんて考えた事はありませんが,はっきりしている事は KPS音楽教室は「楽器屋さんの教室」でも「現役ミュージシャンがレッスンする教室」でもない, という事です。

まぁ,敢えて言えば「ジャズ教育家」としての僕が「自分の教えたい事を教えている」教室でしょう。

で何を教えてるのか?

KPS音楽教室としては下記の科目とコースがあります。

ラウンジ・ジャズ科
・ピアノコース
・ボーカル/弾き語り

サロン・クラシック科
・ピアノ,チェロ,声楽,作曲コース

全く音楽経験がない方からプロミュージシャンや講師の方迄対応可能で基本的には個人レッスンです。

僕自身は「ラウンジ・ジャズ科」のピアノとボーカル/弾き語りを担当しますが,
ご縁があれば「サロンクラシック」のピアノも担当させて頂きます。

それはともかく,以上の事は「講師」業務の「表面的」な部分でして,
本当の仕事,といいますか,講師としてお教えしたい事は,もっと内面的といいますか,
精神的な部分なんですね。

ところでヒトから「なんで講師なぞやっているのですか?」と聞かれる事がたまにあり,
その理由についてお話する事で「KPS音楽教室とは何?」というご質問と,
「講師の仕事とは何か?」「何故,講師をやっているのか?」についてお伝えしたい思います。

つづく

PS,リンクは「ブロードウェイ」という曲集。KImball Piano Salon/チャールストン倶楽部好みの教材です。


Broadway Jazz: Piano, Vocal, Guitar (Broadway's Best)

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  • 作者: Hal Leonard Publishing Corporation
  • 出版社/メーカー: Hal Leonard Corp
  • 発売日: 1992/10
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「ジャズピアノの基礎」〜本当に効果の出る勉強法 [レッスン]

(前回の続き)

1,一流演奏家や作曲家による作編曲/採譜を弾く。

•ただし「弾くのが難し過ぎる」ものに時間を費やすのは無意味。

•オスカー・ピーターソン「For Young Pianist」やチック・コリア「チルドレンズソング」のような一流ジャズメンによる「easyレベルでも弾ける曲集」を沢山弾く。

•単なる「アドリブフレーズ集」よりも「スタンダード名曲」のメロディー,つまり編曲集を沢山弾く。
「アドリブフレーズ」の練習が無駄とは言えないが,スタンダード曲のメロディーの「深い部分」迄に触れる事なく,幾ら「アドリブパターン」を覚えても総体としてロクな演奏にならない。

2,ひとつの作品から和声構造や作曲構造を読み取る

•一流の作品はただ弾くだけでは「ネコに小判」。一つ一つの曲を綿密に分析し,一体,どういう構造になっているのか?を可能な限り調べる。そして,それを演奏に反映する。
•リズムやフレージングの構造も調べ,それを模倣する。

3,分析した作品を模倣する。

例えばある「アドリブフレーズ」をコピーした場合,コピーや移調したの練習も大切だが,むしろ「音そのものをコピーする」のではく「方法を模倣」し,別なフレーズを作る事が更に大切。

「感性のまま」に適当に弾いたとてロクなものができないが,かと言って「人が作ったものを,そのまま貼付ける」のも駄目。先人の方法をアイディア(=技術)とし,自分の音を造る,という練習を例え一日五分でもやる事で能力は飛躍的に伸びる。

というような訳で,残念ながら「音楽の基礎」については「マニュアル」はありませんが,「音感(音楽の感性)」を「天然」のままではロクな事がないので,磨くというか,「音感」を技術として確立できるように訓練してしまいます。

それが最も「効率的」な学習方法であり,渡辺昇一氏/ハマトンが説かれる「時間を無駄にしない勉強法」でしょう。

逆に「技術」や「知識」だけを幾らならべてみても,なるほど,「ある時点」迄の「進級」効果は著しい訳ですが,最終的には「やっぱりできない」という点で同じ。

怠けて勉強しなかったから進まなかったのは自業自得として,「マジメ」に労力と年月をかけ,確かに「ある段階」での「学習成果」に一基するも,それを永年続けた結果が「実は最初と本質的には大して変わってない」とすれば,それこそが膨大な時間の無駄ならず「人生の失敗」となりましょう。

一日が36時間ある人もいなければ,寿命が300年ある人もいません。

同じ24時間で,しかも精々90年程度の寿命,且,若い時分でさえ何かを成し遂げて行く人というのは,
「基礎の学び方」が「人生に失敗する人(!)」とは異なり,必ずしも「効率的」とはいえないにしろ,「本質を吸収する」事が上手で,最終的な成果を出せる人でしょう。

僕自身は,正に「人生の失敗」した側の一員か,うまく言い抜けて「失敗を教訓として,何とか帳尻を合わせ危機を乗り切った」マシな側なのかも知れませんが,皆さんには「無意味な努力」ではなく,「有意義な尽力」によって「音楽の深さ」を感じられる,つまりは「楽しい音楽ライフ」を送れるようになって頂たいものだと思います。

Kimball Piano Salon(大阪梅田) 音楽教室講師 藤井一成 http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

リンクは本ブログに何度も登場する名著「oscar peterson. minuets,etudes&pieces for piano」(旧称 for young pianist)


Jazz Exercises, Minuets, Etudes & Pieces For Piano

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  • 作者: Oscar Peterson
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ジャズピアノの基礎/感性を体系的に訓練する [レッスン]

この一週間に渡りゴチャゴチャと「ジャズピアノの基礎の学び方」について書いてきましたが,「基礎」の重要性は誰しもご存知の通りながら,自分では「マジメに勉強」しているつもりが,実は「大して役立たない」技能に年月をかけてしまう,というとんでもない「人生の誤った選択」をする場合が少なくありません。

そして僕こそが正に「損をした勉強法」の悪見本でしょう。

これは僕がジャズに限らず何かを学んだり,進めたりする際の指南として事あるごとに紐解く名著,渡辺昇一訳ハマトン著「知的生活の方法」に明記してありますが,何が無駄ったって「役に立たない勉強に費やす時間」程の人生の無駄はない,と。

いきなり話が脱線しますが,よく「時間がない!」とこぼす人がいます。「時間がないからできませんでした。あぁ時間が欲しい!」と。

なるほど,あれをやって,これもやる,となると到底一日が24時間では収まらないかも知れません。
「凄いお金持ちで,働かなければ済むならば,できるんだが…」という言葉はしょっちゅう聴きます。

これは「趣味でピアノをやってる方」のみならば,僕みたいな音楽稼業で生計を立てている者の間でも日常的にきく言葉です。問題は「趣味でやる」にしろ「仕事でやる」にしろ,あれも,これも凄い業績を上げる偉人がいる反面,何やっても大した成果をあげれない「駄目男」が(まぁ僕もこの部類かも知れませんが)少なからずいる事です。

きっと凄い量の仕事をする人は特殊なタイムマシンか何かをもっていて一日が36時間以上あるのかも知れません。或は何かのシステム手帳でもって「秒単位」で行動を管理しているのか,三日に一度三時間位寝れば済むのかも知れません。

実際,凄い仕事をする人というのは多忙ですが,かと言って一日はやはり24時間しかないし,極端に睡眠が短い訳でも,家庭が破綻するようなせせこましい時間割を持つようでもないらしいです。

成功者に共通する事は「時間密度が濃い」という事でしょう。
集中して本を読んだり,話を聴いたりする,という事もありますが,むしろ大切な事は「無駄な勉強はしない」という事でしょう。

「無駄な勉強」こそが「勉強を怠ける」事以上に時間を浪費します。

そして「無駄な勉強」のチャンピオンが僕でした。僕は高校生位から十数年に渡り,毎日,ピアノ練習前の準備もしくは「毎日欠かせない練習」としてハノンを12keyで移調しつつ全曲を2時間半かけて弾き通す,とか,やたらと「ジャズのパターン」を練習する他の「マジメな年月」を持ちました。

大体,日本人がいう「マジメ」は世界の「不真面目」な事が多いのですが,はっきり言ってハノンを10年以上弾き続けて得たものは単に「ハノンが上手になった」位のものです。特に「演奏技術」が向上した訳でも,「音楽性」が向上した訳でもない。

或はクラシックの方も「和声学」を何年もやったものの,長谷川良夫先生の「大和声学」教程やヘンリー・シャロンの教程は割合に役立ちましたが,はっきり言って各地の学校等の指定教材として定番になりつつある「和声〜課題と実習」は余程優れた指導者に付かない限り,「全くの無駄」となります。

僕に言わせれば最悪の無駄が「日本の英語教育」。中高校で六年,大学でも数年やった割には実際に読み書きしたり会話したりできる人がいません。精々使えるのは「コーヒー,プリーズ」とか「おぉ,サンキュー」位のものでしょう。こんなもの一時間もかからず覚えれます。

そもそも日本国が「教育」に費やす税金のいかほどが実効性がありましょうか?

橋本元大阪府知事が「学力テストによる偏差値」の公開の是非を巡り教育委員会と対立しておられましたが,
僕にいわせれば,その是非を問う前に「学力テスト」やそもそも「日本の学校」が何を教え,どういう人材を作っているのかを厳しく問うべきでしょう。

「学力テスト」が公開され,張り切った学校によって「偏差値」があがり,ひいては「いい大学へ進学できた」。それ自体は悪い事では決してありませんが,単純に言って企業なりが求めているのは「偏差値は高いが仕事ができない奴」ではなく,要するに「仕事ができる人材」です。

仕事といってもセールスもあれば,製造や事務,経営等色々ありますが,必ずしも「学力テスト」と関係がある訳でなく,或は法曹や医療等「学力」が必要とされる分野においても,そもそも「学力テスト」と実際の「学力」が一致する訳でもありません。

僕はロクに学校へ行った事のない人間ですから,学校の批判をする立場にはありませんが,敢えて言えば,僕が日本の学校を今ひとつ好きになれないのは「テストし易い事しか教えない」傾向にある,という点です。

内容を読んでいないので間違っていたらごめんなさい,ですが,誰かが書いた本で「数学は暗記科目だ!」的な本の広告を観た事がありますが,例えば4×2=8を「シニが8」と覚えるのと同様,高度な数学すら暗記してしまえば「得点が上がる」という趣旨かと思いますが,こういう事を実行する生徒はなるほど「学力テスト」の点は上がるかも知れないが,「数学」本来の力,つまり「思考」という観点では最低となります。

むしろ「本当に4を二倍すれば8になるのか?」と疑問を持たせるとか「どういう条件であれば8となるのか?」と考える事が「本来の数学」です。

そういえば僕が若い頃,唯一取得した「楽器メーカーの講師グレード」があり,テストだったか日常だったか忘れましたが,「ドミナントセブンスを分割しなさい」という問題があり,つまり「G7」を「Dm7 G7」に置き換えれば正解という「下らないテスト」でした。

まぁ,その程度の事はぱっぱっと書けるのですが,同時に「メロディーやハーモニー構造を示す事なく,機械的に分割させる,という問題の出し方には反対する。メロディーによってはG7を分割してはならない場合もある」と書き添えておきました。

或はメロディーにコードを付ける問題とかいうのがありますが,そのメロディーはハーモニーや作曲を理解してない素人がいい加減に作った全く頂けないものでした。仕様がないので,多分,出題者が要求したであろう解答(コード)を書くと共に,こちらでメロディーを「添削」し,それら合わせたコード進行も書いておきました。

一時が万事この調子で,はたからは「文句ばかりをつけているる」としか見えなかった事は確かですが,
まだ二十代半ば過ぎの,大した音楽の事が分かってない僕ですら否定せざるを得ない,あまりにもお粗末な教材やテストを偉そうに出してくる訳ですから呆れた話です。

問題はいちいち「この問題は間違っている」などと批判する僕ではなく,何の疑問もなくスイスイと解答する「マジメな生徒(=世界的には不真面目な生徒)」の方が遥かに進級が早い,という点です。(進級そのものは僕も遅くはなかったのですが…)。

別に「進級」が早いから悔しかった,という記憶はない,というか僕の場合,折角「講師資格」とやらを取れたと思ったら,別な音楽企業への就労(職)が決まり,その際「あのー,某講師資格を取得しました」と言った所「それがどうした?」と全く相手にされず,結局「倉庫の掃除係」に配置されてしまったのは,別に「イジメ」にあったからではなく僕の「音楽の実力」があまりに低かったからです。

つまりは「グレードテスト」なるものが「音楽の実力」を計るものではなく,又,それに伴うレッスンやらセミナーやらも「音楽の実力」を養うものではなく,単に「グレードテストで得点をする為」だけのものに過ぎないが故にこういう馬鹿に事態を招く訳です。

或は幾ら「和声〜課題と実習」を習得したとて,実際の和声感覚や構造が身に付く訳ではなく,単に「課題」ができた,というだけの話です。

例えば全三巻ある内の一巻しかできない内は二巻や三巻を学べば相当の力がつくだろう,と誰しも思います。
或は「グレードテスト」が六級の方にすれば四級や三級を取得すれば大変に進歩した気になります。

しかし実際には何も変わっていません。ただ「教本の過程が進んだ」とか「検定が進んだ」というだけの話です。日本で最もメジャーな「講師検定」は最上級が三級になりますが,後年,僕は三級取得者を対象にセミナーやレッスンの類いを受け持つ事になりました。

その際分かった事は,三級といえど,例の「和声〜課題と実習」すら大してできていないし,「音楽常識」もなければ技術もない,難しい事はさておき「音楽の基礎」がまったくできていない,という点です。

つまりは六級ならば「お湯を注ぐだけのカップラーメン」,五級になれば「具や粉末スープを取り出すタイプのカップラーメン」と進み三級位になれば「麺とスープを別々に作るタイプのカップラーメンと冷凍食品や電子レンジグルメを組み合わせたメニュー」位がこなせるようになっているに過ぎません。

変な例えですみませんが,「料理」でいえば誰一人として「ご飯を炊く」「昆布で出しを取る」等をやった事がない,という非常に困った事態にある事が分かります。

つまりは「レベルが低い!」訳ですが,つい,僕が漏らしてしまった言葉を聴いてしまったある受講生が「ならば,頑張って,和声の三巻迄やります!」と言い返してきましたが,そんなもの「カップラーメン」しかできなかったのが「冷凍シュウマイ」を解凍できたとて「料理ができるようなった」のでは全くないのと同様,「音楽のレベル」があがった訳では決してありません。

勿論,「グレード取得者」の全てが困った存在ではなく,殆どは「カップラーメン〜冷凍食」的な音楽学習体系から「お米の研ぎ方」から始まるように僕の,というか「普通の」音楽学習体系へとシフト,もしくは「やり直す」のですが,どうしても「カップラーメン」的概念から離れられない人もいて流石に困ってしまいます。

これは漫画か何かの受け売りなのですが,日本の料理の板前さんは,何と塩だけで「お吸い物」を作れるそうで,適切なお湯の温度と「塩加減」で「ほんのに甘い」お吸い物になるとの事。

勿論,そうなるには,それこそバケツ一杯分位の汗(と涙?)をかかねばならない筈ですが,僕自身が考える「音楽の基礎」勉強とは,いわば一年位かけて「塩だけでお吸い物を作る」習練な訳です。

といえばおっかなそうですが,勿論,「普通」に楽しくやっている訳ですが,いずれにせよ「塩だけでお吸い物」を作れる位になれば,料理なぞ何でも作れる,何故ならば「味覚」を培われたから,という訳でしょう。

そして,こういう「習練」は「グレードテスト」では級付けやり難いんです。

或はある某楽器店の講師さんですけど,他の生徒さん同様に「オスカー・ピーターソン」の練習曲や,クラシックもみて欲しい,というのでバステインだったのが曲集でレッスンしてた際,その内,本人が「切れて」文句をいうのに「こんな子供でも弾いている曲を弾かせるとは何事か!」と。

そりゃあ「弾けていれば」文句は言いませんよ,けど「タッチ」はないし,「フレージング」もデタラメ,電子オルガン講師かなんか知りませんが,「音楽の基礎」が全くできてないから,他の人が「へぇー,そうだったんですか!」と嬉々として受けられるレッスンプログラムで進めただけの話です。

その際に「塩加減だか何だか知りませんけどね,こう塩加減ばかりやらされたら,口の中が塩だらけで変になります!」とか「私は18歳から講師やってるんです!」とか何とか捨て台詞を言い出すので,そりゃあキツく叱りました。

別にその人が個性的におかしい訳ではなく,いわば子供の時から「ジャンクフードとレトルト食品しか食べた事がない」のと同様の音楽環境を作り出してしまった楽器メーカーが間違っている訳でしょうけど,困った事です。

こんな例は極端としても,得てして「何が学べている」と精神的にも充実する訳ですが,これも落とし穴があります。

僕は話を分かり易くする為に「ハノン」や「和声〜課題と実習」の「無意味さ」を説いてきましたが,
実は「ハノン」や「和声〜」も使い方次第なんです。

ただ弾くだけ,ただ書くだけ,という状態に陥るが故に「無意味」と言ってまずか,ハノンも本当に「リズムやフレージングを考えて,タッチを作るように弾く」ならば,「和声〜」も本当に音感として身につくように活用すれば効果はあります。(まぁ,他の教材の方が尚好いのですが…)

同様に僕がまず使わない教材として「音楽理論(楽典)」があります。

僕はレッスンに際しては,膨大な量の「音楽理論」を話しますが,かと言って理論の本とかで順にやる,という事はしません。だから,どこに話がいくかも分からないし,記録としては生徒さん持参のノートに書き付ける程度の事です。

だから僕の生徒さんのノートは,僕の書き付けでグチャグチャになっています。
これでは「何が何だか分からない」とかで「音楽理論の本」をやりたい,とか,実際に買ってきたやってみて,漸く「整理ができて分かった」という方もおられます。

或は「マジメな生徒さん」が集まって自主的に「音楽理論」の勉強会を催される事もあります。
別に反対はしない,聴かれれば「リットー社の音楽理論の本なんかがいいかもね」とヒントも上げ,それで,「マジメに」に勉強するらしいのです。

ちらっと観たら何やら難しそうな事をやっているので内心笑ってしまいますが,別に意地悪するつもりはないのですが,レッスンの時に課題曲の一部を指し「これ,どういう技法だっけ?」と質問します。

すると「えっ,そんな難しい事,知らない!」と言われるので「さっき音楽理論の本でやってたよ」と言うと「えっー」となる訳です。

別に否定する訳ではありませんが,「音楽理論の本」なりを順にやる事は「マジメな学習者」にとっては大変精神衛生上宜しいが,実際には「本のなかの課題」や「グレードテスト」では解答できても,実効性は殆どなく,音楽には何の好影響も及ぼしません。

そういえば音大あたりを卒業すれば,ピアノ科や声楽科の学生でも,例の「和声〜課題と実習」の一巻修了か二巻の途中程度の「課題」はこなせるようになります。

ところが自分が弾いたり歌ったりする曲のコード進行や「和声の構造」を分析したり,それを演奏に反映できる者となれば100人に1人いるかどうか,という有様です。

結局,音大生としては「音楽理論(和声学)」の単位を取得せねば卒業できない訳で,それが無事取得できたから万々歳とは言えますが,「音楽の実力を培う」という観点では「音楽理論」の授業は全く無意味だったと言えます。

本当に「音楽の実力を培う」のであれば,カップラーメンみたいな和声の問題集ではなく,クラシックだろうがジャズだろうか,それぞれの一流作曲なり即興から和音進行や和声構造を見いだす能力や,一流が持つ「趣味の良さや構造の深さ」を感覚として吸収する努力に当てる方が遥かに効果的です。

尤も「マジメな人」程,問題集の類いには時間を費やしても,案外,実作からの自問作業はおざなりにする傾向があり,音楽の本来的な学習の観点からは「不真面目」な場合が少なくありません。

要するに「成果が見せ易い」ものと「見せ難い」ものがあり,つい「成果が見せ易い」事に力点を置くらしいのですが,僕はそれ程には馬鹿ではありませんから,一見「見せ難い」部分への努力の多少は直ぐに見抜けます。まぁ「頑張ったから褒める」という事を僕は殆どやらないのですが,第一本人が努力に対する「好い演奏ができるようになった」という報償を受け取るでしょう。

そういえば,これも或る「マジメな生徒さん」の話ですが,最近,僕はリー・エバンス著の作曲教本をレッスンでよく用います。これは元々は子供用の本なのですが,使い方によれぱ大人もプロ過程の方も使えます。
というか日本的「マジメ」さでだけやり過ごすと,殆ど何も得れない,という「優れもの」なのです。

それで,その「作曲家志望」の生徒さんは,ある日,その本を丸々一冊課題をやって持って来られ,中を飛ばして最後の方だけをレッスンして欲しい,と言われました。リーに限らず米国系の教材によくあるパターンですが,本の頭は丁寧だが,最後の方ば大雑把に進んでいく,という癖のせいもありますが,最後の方はよく分からない,というのです。

結論からいえば,その人が「この辺り迄は誰がやっても直ぐにできる課題だから」と適当に飛ばしてしまっている所にこそ全ての解答があります。

厄介な話ですが,リーの本は,書いてあるだけの方法で解答したとて大した力は得れず,教える側で工夫し,本のどこにも全く書いてはないが,独自に「転調」を加えるとかを与える事で,倍どころが数乗もの効果をあげます。勿論,そういう独自の問題を提示できる能力が講師になければなりませんから,講師たるもの,生徒の数段以上の「深い部分」迄修得せねばなりません。

つまり生徒が作れるのは「カップラーメン」のみ,講師は「冷凍食品も作れるよ」ではなく,同じお白湯と塩だけで,講師が作ると「塩味」だけでなく「甘み」迄感じさせる位に「深い部分」も修得せねばならないのです。そして,これは「グレードテスト」やら「音検」だけでは全く修得できない部分なのです。

僕は「趣味で習う人」と「プロ(講師や演奏者)を目指す人」とでレッスン内容に殆ど差をつけません。

いわば「趣味で習う人」にはカップラーメン〜レトロト食品,「プロ」には「ハンバーグのレシピ」を教える,といのが従来の「音楽教室」の内容だったかも知れませんが,僕にいわせれば「趣味」だろうが「ブロ」だろうが「塩加減」「ご飯の炊き方」「だしの取り方」だけやれば,一年もすれば「趣味」でやる人も「美味しいお握りが作れた」的な音楽の悦びを得れるでしょうし,「プロ」を目指すくらいならば,「魚をおろす」とか「大根をムク」とかの更に多くの「技術の基礎」に相当する音楽技術を習得されるでしょう。

「一年かけて,お握りとみそ汁しかできないの?」と言われてしまえば,それ迄ですが,ちゃんとしたものであれば,テーブルいっぱいのレトルト食品の数十倍の満足を作る人(演奏者)と食べる人(聴く人)に与える事でしょう。

更に三年,五年も立てば,「レトルト派」が最初の数ヶ月の段階と何も変わらないのに対し,「塩加減派」は立派に魚や肉を使って味わい深い料理を作れる事ができるでしょう。

つまり肝要な事は「塩加減」に相当する「音を聴き分ける能力…いわゆる「聴音」ではなく「その音が美しいか否か,という審美眼」」を培う事に付きます。

ハノンでは「ある音を作る」という「タッチ」を養う事が全くできません。

幾ら「ジャズ理論書」の課題なぞ実施しようが,なるほど「課題」はできるでしょうし,続ければ,その本は修了するでしょうが,実際に「音楽理論」が感覚として身体に入る訳ではありません。

ジャズの各種スケールや「アドリブパターン」の類いもやる程に語彙は増えますでしょうが,それを貼付けただけの「アドリブ」程聴いてて退屈なものはありません。

そこで結論として僕は次の方法を「基礎」としてお薦めします。

(つづく)
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ジャズピアノの「基礎」について/ジャズフレージングの重要性 [レッスン]

皆さん,こんにちわ。前回迄で「習得すべきジャズの基礎」として「リズム」と「ハーモニー」が大切だとご理解頂けたかと思います。

且つ,その場合に「リズム」とは「日本民俗」的な「ドンパン節」では駄目で,表裏逆転する「西洋音楽のノリ」が必要であり,「ハーモニー」とはインスタントな「コードパターン」なぞではなく,三〜五本の独立した声部が「変異(テンション)」しつつ,絡み合う「和声(ハーモニー)」でなければなりません。

僕自身は「リズム」については「イジメ」のような,しかし暖かい指導を頂きつつ,今から思うと無意味なトレーニングも重ね,漸く五年位かけて何とか格好が付く程度迄「矯正」しましたし,「ハーモニー」については15年くらい試行錯誤し,漸く方法論を確立できました。

尤も「ジャズフレージング」に関しては「いつ習得できたのか?」記憶を辿っても曖昧です。
確か活動拠点を国内に戻し,ヤマハで「ジャズピアノ教室」を展開始めた1990年代半ば過ぎ…僕が三十代半ば頃…には「ジャズフレージング」の最低限度は分かっていたような記憶があります。

「フレージング」は単体では存在せず「リズム」と関連して形成されます。

当時の僕は音楽講師や一般の方を対象に教えていましたが,全員が「リズム」に関しては「天然のまま」,
つまり「ドンパン節」であり,それに基づくフレージングを作ります。

「ドンパン節」と「西洋リズム」とでは「ノリ」が表裏逆転し,だからフレージングが変わり,
早く言えば「楽譜の読み方」が全く違って来ます。音の繋ぎ方がまるで異なります。

例えば「アナタヘノアイ」を西洋リズムでは「貴方への愛」と呼み,ドンパン節では「穴,田植え,ノア,医」と読みますが,これでは意味が掴めし,どうしてもつっかえるのて,とても弾きにくくなります。

逆に言えば本来の「西洋リズム」に基づく「フレージング」にする事で,とても弾き易くなります。


尤も当時の僕は「リズム」について大して分っていた訳でなく,それ故「フレージング」も小さな単位としては取れても,単位を連結させより大きな流れを作る,という事を理解していませんでした。

結局,当時の愛用というか僕のレッスンの標準教材であった稲森泰利先生著「コンテンポラリー・ポピュラー・ピアノ・スタディ」とか「スタンダード」等の素晴らしい編曲に毎日触れ,且,研究する内に段々と「小さなリズム単位が連結されフレージングが形成される事」に気づきます。

その結果「ため」「すくう」「留」「終止」等の僕独自のフレージング解析用語を使い,漸くある程度以上の事が見え始めるには更に数年を有しました。

結局,「リズム」「ハーモニー」「フレージング」がある程度理解できたのは,この十年位,早く言えば四十歳を超えた時分からでしょうか。

四十歳にもなって,漸く「一人前」になったかなれなかったのか,という程度な訳で,何とも遠回りというか,せめて,もう十年位早くできるようになっていれば,僕の人生ももう少しはマシだったろうな,とは思う事がしばしばあります。

かと言って,この十年間も日々進歩というか毎日なんらかの発見があり,十年前と五年前は違うし,現在は更に違う,という具合。結局,今至って「漸く一人前」」とも言えますが,正直言えば,まだまだ分からない部分が沢山あります。

まあ「十年前の方が良かった」よりはずっと好いのですが。

とにかくジャズに限らず音楽は深い。一生涯かけても追求できる所が面白い所です。

(つづく)

PS;リンクは「ジャズフレージング」の名著

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ジャズピアノの「基礎」について/ジャズ和声とクラシック和声の違い [レッスン]

*日本人特有の「ドンパン節」から脱却する事が必要!

皆さん,こんにちわ。この数日「ジャズピアノの基礎について」と称しつつ,
実は僕自身の「早すぎないが,誰も興味がない自伝」を書きまくっています。

僕の自伝(?)なぞ何の意味もありませんが,「ジャズピアノの基礎を習得する」という事に関しては,
永年に渡り,僕はとんでもない回り道をし,思えば「漸くモノになった」かと思えば,それが間違っていた,という事の繰り返しだった訳で,同じようなお悩みのをお持ちの貴兄にもご参考になるかと思います。

さて前回は「日本民俗固有のノリ=ドンパン節」を克服し,表裏逆転する「欧米のリズム感」を学ばねばならない!とお話しました。

別に「ノリのいいスゥイングをやりたい!」とか「ノリノリのラテンだぜ!」だから「ノリ」が大切なのではなく,スローバラードだろうがベートーヴェンだろうが「ドンパン節」でやる限り「和製(=インチキ)」のクラシックやジャズに過ぎず,いわば服の裏表を逆に着ているようなもので格好悪い上,何時迄たっても本来ハーモニーやフレージングも理解できない,という音楽構造に分子に相当する非常に重要な要素です。

尤も三十歳になったばかりの当時の僕は,自分のリズム感が正に「ドンパン節」であり,且,なまじ二十年もそれで練習を積み重ねた結果,頭のテッペンから足先迄が「ドンパン節」の権化と化していました。

乱暴な言い方をすれば「ノリ」さえ合って入れば,個々の音なぞデタラメに弾いても全体としてはちゃんと聴こえるに対し,「ノリ」が間違っていれば,幾らジャズやクラシックの技術や知識があっても全く「インチキ」でしかありません。

それ迄,自分では勉強を積み重ね,又,日本国内では演奏業や講師業でそこそこの仕事をさせて貰えたのに,米国人を相手にすると,ただの一音すら使える音を出せません。つまりは三十歳にもなって,自分の音楽が「インチキ(和製)」でしかないという現実を突きつけられた僕としては,まさか首をくくる訳にもいかず,最も安楽に思えたのはメンバー全員が「インチキ(和製)」な国内の演奏業や講師業に戻る事でした。

且つ,全員が「インチキ(和製)」というレストランや音楽教室なぞ日本では幾らでもある訳で,そこに戻れば威張ってられる訳ですから,精神的にも楽な筈でした。

結局,そうしなかったのは別段自分が向上心あふれる懸命な青年だったからでは決してなく,しつこくも暖かく,イジメているようで見守ってくれるプロデューサーに恵まれたからでしょう。

ちなみに「ドンパン節」から脱却する目星がつく迄に二三年,何とか「ドンパン節」ではなく「西洋リズム」で演奏できるのに更に二三年確証をもって演奏し,レッスン)できるようになるのに更に二三年かかり,結局,「ドンパン節の矯正」に十年近くかかった計算になります。

何の事はない,四十歳前にして漸く「ジャズの基礎」の一要素である「リズム」を何とか身に付けたような次第ですが,ちなみに僕のレッスンを受けられた方は三ヶ月も続ければ結構「ドンパン節からの脱却」の目星が付けれます。

僕自身は「どうやればドンパン節から脱却できるか?」分からず,又,実効性のある教えも頂けず,
或は二十代からの「上達するにはメカニカルにパターン練習を只管やる」という発想から,
今にして思えば,とても非音楽的,且,大して効果のない練習をやたらと続けました。

19世紀に大作曲家シューマンは,当初ピアニストを志し,その為に「指の強化器具」で練習しますが,これは昔テレビアニメであった「巨人の星」の「大リーグ養成ギブス(知ってるかな?)」同様,
百害あって一利なしの馬鹿げた訓練です。

しかし同様な事を「リズム感の矯正」の為に僕は自分自身に化し,結局も何年もかけて大して成果を得れず,馬鹿みたいに十年位のを費やしてしまう訳ですが,それこそ現在の僕のような「合理的なメソード」を持っている先生に習えたならば,一年もあれば結構自信をもって米国人と合奏できるようになっていたかも知れません。

おっと例によって自画自賛〜教室の宣伝をしてしまいました。

ちなみに「ではどうやって変えればいいんだ?」という質問をお持ちの方もおられるかも知れません。
僕は自分の方法を特に「秘伝」化するつもりもありませんが,ブログにて言葉だけでお教えするのも困難です。

よって僕による「レッスン風景の動画」をリンクさせておきますので,ご興味がある方はご覧下さい。ちなみに,この動画は吟味して選んだ訳でなく,適当に目についてものに過ぎませんし,基本的に本人のチェック用ですので,第三者が観て「何をやっているのか?」分からない部分の方が殆どな筈ですが,一応,URLを載せておきます。

http://youtu.be/VDPx6HCT7Ms

*漸く「ジャズ和声」にたどり着く

米国人との競演はともかく,日本においても「プロとしての最低限のスキル」を満たすべき,「ドンパン節からの脱却〜リズム感の矯正」を迫られ,妙な方法ではありますが(何をやったかは?敢えて伏せておきます),それに従事している際,「ジャズ習得」に必要な他の勉強はやめていたのか?といえば,僕はしつこい性格なせいかやめていなかったのですね。

「坂本輝著/輝さんのジャズマスター・シリーズ」他を徹底的にやったせいか,元々の「ジャズ初級」から「ジャズ中級」程度には進級できた,と自認できたのが二十代〜三十代にかけての僕でした。

そのお陰で例えばDm7 G7 C6という進行を「レファラ」「ソシレファ」「ドミソ」ではなく,
「レ/ファラドミ」「ソ/ファラシミ」「ド/ミラレソ」と押さえる事くらいはできました。

というか1990年代初頭の日本では,その程度の「ジャズのパターン」を自在に弾ければ,
「ジャズピアノが弾ける」と言えたし,レートの安さに文句を言わねば,仕事も結構ありました。

そもそも当時の僕は「ジャズピアニスト」ではなく「ニューエイジ・ミュージック」という「ジャズとクラシックの混血音楽」のピアノ&シンセサイザーの自作自演でして,この分野だと尚更「デッカイ顔」をしてられた訳ですが,ヒトはともかく僕自身が「パターンを組み合わせただけ」の音楽には全く満足できませんでした。

勉強として先日の音楽を解析し,ある部分をリック( パターンというよりはお手本)として練習し,結果として「パターンとして覚えてしまう」事は悪くない,どころか,どうしても必要な過程なのですが,やり方を間違えると反射的に「パターンを弾いてしまう」無意味な音楽しかできなくなります。

例えば,突然夜遅くに終電を乗り過ごした友人が押し掛けて来たので,仕方なしにレトルト・カレーとご飯のパック,コンビニのサラダで「食事らしきもの」を作った,という経験をお持ちの方はおられると思います。(というか押し掛けた経験がある訳ですけどね…)。

「この××カレーはなかなか美味しいなぁ」とか何とかいいながら食べる訳ですが,
尤もこの手の「食べ物」は「料理」とは言えません。

カップラーメンや電子レンジ食品やレトルト食品は,結果して美味しい(かどうかはさておき)にしろ,
にしろ「料理」とは言えません。

同様に「ジャズピアノのパターン」に出てくるようなコードの押さえ方だとかフレーズを幾らつなぎ合わせても,こんなものは「音楽」ではない訳ですね。

もしかすると,自分で挽肉と玉葱と小麦粉をこねて作ったハンバーグよりも,デパ地下で買ってきた「有名店のハンバーグ」の方が美味しいかも知れませんが,どちらが「料理」と言えるかといえば明白でしょう。

故に僕としては「ジャズハーモニーの電子レンジ食品」みたいな「ジャズコード・パターン」ではなく,そもそもG7なのに何故「ソシレファ」でなく「ファラシミ」だったり「ド♯」が付くのか?或は,
同じG7なのに「ファ・シ♭・シ・ミ♭」だったりするのか?

「結果」ではなく「そういう和音ができた来た過程(理由)」を知りたかった訳です。

それで18歳の時に購入したものの最初の数ページで投げ出してしまった渡辺貞男氏の名著「Jazz Study」というジャズ理論書/ハーモニー教本に12年ぶりに挑戦しました。今度は「輝さんのジャズマスター・シリーズ」による基礎ができていたせいか「Jazz Study」が理解でき,結構,スラスラと課題を実施する事ができました。

「Jazz Study」によって「三和音四声体」のクラシック和声法とは異なり,ジャズは「四和音五声体」である事が始めて理解できた訳です。或は「テンション」と呼ばれる9th,11th,13th等の事も大分わかってきた。

それでも,どうもよく分からなかったのが,「色々とある音のうちの,どの音をテンションとして用いるのか?」という点です。

例えばG7の場合,「ソ・シ・レ・ファ」という基本的な音だけで既に四声体となります。
理論書によれば,これに加え「9th〜ラ」と「13th〜ミ」の♭や♯がついたものや,
「♯11〜ド♯」が使えるとあります。なんだか分からないけれども「テンション」が沢山ありますが,一体,どれとどれを使えば好いのか皆目見当が付かない訳です。

それで試行錯誤する訳ですが,ある日,塩沢修三先生著によるジャズ和声の歴史的名著「キーボード・ハーモニー」全四巻を読んだ所,一気に問題が解決しました。

そもそも「ジャズ和音の基本」は「ソシファ」の三音(Low position)であり,更に「Root (ソ)」や「5th(レ)」を変異させた音〜テンションを加える,という原理が書かれていた訳です。

この塩沢修三先生による理論が即座に理解できたのは,以前,クラシックの理論書だけど「音場変異」という理論を説いた下さった島岡譲先生著「音楽理論」を独学していたからでした。

実は塩沢先生による「原理」はいわば「ジャズのノーベル賞」的偉大なものなのですが,
具体的な構築方法や更に「アッパー・ストラクチャー」の構成等については,
述べられておらず,僕は別に自分の才覚でわかった訳でなく,塩沢理論を習得できたが故に,
他の理論書が理解できるようになり,結局,ジャズの「多層構造」のハーモニーを理解〜習得するに至ります。勿論,それ迄には五六年以上かかりましたが…。

そして,この辺りの仕組みについて前述の渡辺貞男著「Jazz Study」やこれ又偉大な「ジャズ教育家」であられる稲森泰利先生の著作から仕組みを理解すると共に,遂に自分で「ジャズ和声学」を書き始めてました。

基本的には塩沢理論ですが,具体的な方法論については書かれていない部分があったので,自分で「定義」を立て,それが稲森先生の編曲作品と照らし合わせ,矛盾しないか見比べつつ,一つ一つ方法論として確立していきます。

結局,30代半ばにして,漸く「ジャズ和声」のあるレベル迄を習得でき,その頃には,例えば稲森先生編曲とかは勿論素晴らしいが,いい加減なヒトの編曲や理論書だと「ジャズ和声」としては間違っているな,なんとて事も分かるようになり,結構,自信をもてるようになりましまた。

少なくとも自分の「ニューエイジ・ミュージック」の自作自演に関しては「理論的に間違った事はしてないだろう」と確証を持てるようになり,それで仕事のレートを一方的につり上げ,且,それがある程度迄は認められから「偉そう」にし始める訳ですけど,なーに,今から考えれば,そんなもの「ジャズ和声」の初級程度の事しか分かってなかったのですね。まぁ15年も前の話ですが…。

*******
という訳でして,「ジャズの基礎」として「リズム感」と共に「ジャズ和声」の習得が上げられます。

ちなみに僕自身は基本的な部分の習得にさえ15年くらいかかりましたが,僕のレッスンに来られれば三ヶ月もあれば,その程度の事はできるようになるでしょう。

つまりは「大した事ではない」ともいえますが,その「大した事でない事」を我流〜独学で何とかしようとしたから(適当な先生がいなかったので)とんでもない回り道をしてしまったのが三十代半ば頃迄の僕でした。

その他に必要な「ジャズの基礎」として「ジャズフレージング」を上げましょう。

これも又,なかなか厄介なのです。

Kimball Piano Salon主宰/藤井一成 http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

(つづく)


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ジャズピアノの「基礎」について/リズムが悪けりゃあ話になりません! [レッスン]

「ジャズピアノの基礎」とは何か?というのは古くて新しい問題ですが,やたら「パターン」を覚えればいい,というものではない事は前回にお話した通り。

自分のジャズピアノや作曲の「インチキさ」にうんざりした僕は,勉強(独学)に専念する為の二年間の「隠遁生活」を経て,ボチボチと娑婆に戻ったのが二十代最後の方。

実は「勉強」ばかりしてた訳ではなく,当時,目新しかったデジタル・シンセサイザーやシーケンサーによる自宅で「多重録音」できるシステムで「デモ・テープ」作りに励んでもいました。

現在でこそ僕は「ジャズ系ピアノ奏者(最近は弾き語りしますが…)」という事になっていますが,
二十代半ばからの十年程は「ニュー・エイジ・ミュージック」のピアノ/キーボード奏者を自称しておりました。

別に「ジャズ」に見切りをつけた訳ではなく,元々クラシックから音楽に入ったせいか,
僕が二十代初頭(1980年代初頭)に勃興した「ニュー・エイジ・ミュージック」に傾倒してました。

というのは「ジャズ・ハーモニー」と「クラシック風メロディー」が「ニューエイジ」の音楽基盤だっから生理的に入り易かった事がひとつ。且つ一応はクラシック系音大を卒業し,しかしジャズにも関わっていた僕としては「技術的」にも近かった事が理由として上げれます。

つまりクラシックとジャズ両方の「音楽理論」と「技術」が必要とされる,ともいえますが,
実際はなーに「どちらも中途半端な人がやるには丁度好かった」からもの凄い勢いで「ニューエイジ」系ミュージシャンがアメリカを中心に激増した訳です。

だから僕が「ジャズをちゃんと勉強せねは!」と一大発起した理由は「ジャズピアニストになる為」ではなく「ニューエイジの自作自演演奏家を目指すため」なのでした。

それにしても二年程色々と勉強したものの,ジャズについては「パターンが弾けるようになった」程度で大して本質迄は掴めていませんでした。更に悪い事に中村由利子さん辺りの音楽を無意識に「パターン」化し似たような曲を自作自演するようになっていました。

「ニューエイジ」の「パターン」なぞジャズの数段簡単ですから,適当に「パターン」を組み合わせ,適当にメロディーを乗せれば,結構,それらしい音楽になった訳です。

しかし流石の僕でさえ,そんなコンビニエンスな音楽では駄目だ!と感じ,敢えて「パターン」から離れたシンセサイザーによる「多重録音」に主力を移しました。

結局,カーッェルという米国メーカーのMiIDI BoardやK1200他と国産のヤマハSY77というシンセによるピアノとストリングのサウンドを中心とした「幻想空間…(笑)当時よくあった…」音楽をシコシコと使っていた訳です。

それなりに「情念」が詰まっていたし,ある意味では楽器の鳴らし方が巧かったせいか,友人知人の間では「好評(!)」だったし,どこぞのローカル・ラジオ番組でのテーマ曲に使われたりもしましたが,そんな事はちょっと音楽をやっていれば誰にでもできる事なのです。

とはいえ,そんな活動が縁で某メーカー系の仕事や,某大手広告代理店系での職にありつけ,バブル期も重なり,結構,暢気に稼げる日々が30代になる前から始まっていました。

***************************************************
結局,一応の職を得られたものの仕事は「倉庫の掃除」や「運転手」がメイン。しかし人手不足の折から「リミックス」もやり始め,やがては仕事の拠点を国内から米国に移しました。

と言っても基本的には「データーのやり取り」だけですが,それでも驚嘆した事がアメリカ人の「リズム感」が日本人とは全く異なる,という事実!

「ジャズ」がどうの,とか「ニューエイジの和声」がどうの,とか以前に,例えばアメリカ人が作った「愛しのエリー」のカラオケに僕がメロディーを単音で弾いて録音すると,もう全然「ノリ」があわず,全然伴奏と溶け合わないのです。

その合わなさは,まるで「いじめ」に遭っているいるようなもの。
社長でもあったプロデューサーからはガンガンに文句というかアドバイスを頂くも,
どうにもならないんです,こればかりは。

結局,「リズム感の矯正」に取りかかるのですが,ここでは,どうやったか?については
省略しますが,一応「ノリ」について嗅ぎ分けられる迄に三年くらいかかり,
何とか格好が付く迄に五年。

ある程度自信がもてる迄には十年位かかった訳ですが,当時,
いよいよ三十歳になろうか,という男性として,
「音楽の根本」である「リズム感が間違っている」事が分かり,
且,何をどうやっても,それが簡単には矯正できない,
つまりは「お先真っ暗」状態な訳でどうにもこうにも辛かったですねぇ。

ちなみに「リズム感」については勘違いしている人が多数でして,
よく「ノリがよい音楽」とか「ノリノリ」なんて言いますが,
実際に「ノリ」が好い,というか「正しい」かどうかは別問題。

というか「天然」の日本人ならば10人が9人迄は
「ノリ」が欧米人とは表裏逆。

ロックをやろうが,ラテンをやろうが,ヒップホップをやろうが関係なく駄目。
むしろ「ドラム歴三十年」なんて言われると「西欧のノリ」ではなく,
「日本的なドンパン節」で全身が凝り固まっている率の方が高い。

日本人同士で演奏している分には互いに「ドンパン節」だから気にならない。
ドンパン・オーケストラが演奏する「ラデッキー行進曲」と観客の手拍子は合致するし,
ドンパン・ロック・バンドと観客の踊りだかも合致する。

要するにクラシックだかジャズだかを問わず,日本古来のリズム感…ドンパン節…でやる以上は,
本来のクラシックでもジャズでもなく,「日本の民俗音楽」の現代版に過ぎない訳。
分かり易くいえば「ヒップホップ」なんて言ったとて「盆踊り」の変形に過ぎない訳。

勿論,日本人でもちゃんとしたプロになると「本来のリズム感」を身につけておられるのは当たり前。
ところがアマチュアとかプロでもBクラスになると「ドンパン節」による天然のまま。

本ブログでも何回も取り上げましたが,年末の「合唱」にしてもベートーヴェンにはなっておらず,
「お猿の籠屋」にしか聴こえません。

ピアノの弾き方でいえば,「ドンパン節」による「日本人独特の変な弾き方」が当間前になっていて,
それに対応したタッチセンスのピアノや電子ピアノを日本のメーカーが流通させるから,
益々おかしな事に。(ちなみに日本仕様と海外仕様とで全く感覚を変えているメーカーもあり。)

又「リズム感が違う」という事は「ハーモニーの構築」も「メロディーのフレージング」も全て
変わってしまう訳。

勿論,日本人同士で演奏し,日本人の為に聴かせるならば,誰も文句をいう人もいないでしょうし,
そう言った「民俗音楽」としてのクラシック風とかジャズ風の音楽で成功された方も少なくありませんが,何とも「ローカル」な話。

以前,韓国映画を観ていますと,昔のシーンで,裸になった女性が「ふんどし」をしめており,つまりは「ふんどしは本来女性下着なのだ。男性が着用している日本は駄目だ!」みたいな密かなメッセージを感じてしまい僕としては苦笑しました。

しかし,もし当時の韓国人が「ふんどしを着用している日本男性」を観たら「ブラジャーを着用している男性」と同様に驚愕してかも知れませんね。

まあ,僕たち日本人としては「こちらの勝手」と突っぱねる事も可能ですが,
「ふんどし」と異なり「リズムの表裏逆転」は,「ブラジャー着用男性」の数倍,
困った事になります。

いわばお米をといだ際に,お米自体を捨ててしまい,とぎ汁だけを飲む,位に
本質に反した事になります。

という訳で「ジャズの基礎」とは何か?という解答の一つとして,
僕は「ジャズ(というか西洋音楽共通)のリズム感」を理解し,
訓練する事で「日本民俗音楽のノリ」から脱却する事だと思います。

そうでないと「ハーモニー」や「フレージング」もできないのですから。

(つづく)
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ジャズピアノの「基礎」について/パターンをやればいい,というものではない。 [レッスン]

二十代半ばにして音楽的「基礎」を欠いた自分の音楽が「インチキ」に過ぎない事に我慢できなくなった僕は,ライブやレストランの「ピアノ弾き稼業」を辞め,自宅にこもっての「人生(=勉強)のやり直し」を始めました。

その間にやった事は,

最初の1年(今思いだしてみると音大卒業後直ぐに行き詰まり始めていた)

1,クラシックの音楽理論/
高校生の時から始めた音楽之友社「和声〜理論と実習」全三(四)巻のやり直し。

2,クラシックピアノ/
ツェルニーやインベンション等中学生時分からレッスン曲のやり直し。

3,ジャズの基礎勉強/
坂本輝著「輝さんのジャズマスター・シリーズ」を数冊
小山田大宣著「ジャズ理論」上下

次の二年目から

1,クラシックの音楽理論
「和声〜理論と実習」では「本当には音楽は学べない!」と感じ,高校生の時に少しかじった
 長谷川良夫先生著「大和声学教程」で目から鱗。「対位法」「作曲法」と続けました。

2,クラシックピアノ/
「ツェルニーなぞ幾ら弾いてもピアノの音色は作れない!」と感じ,モシュコフスキーやドビッシーに移動。又,カムバックしたホロビッツの英国での演奏会をテレビで観て「日本のピアノの先生」との違いに驚嘆。或はウィーン原典版のバッハが示す「運指」に啓蒙され「ピアノ奏法」の研究開始。

3,ジャズの基礎勉強/
相変わらず坂本輝著「輝さんのジャズマスター・シリーズ」。並行して日本上陸したリー・エバンス著「初歩のジャズ即興技法」全五巻や「クラシックからジャズの技法」全六巻を開始。

多分三年目あたりでの結論

成果;
1,クラシック音楽理論/学生時代の激「怠学」の尻拭いをした感じ。漸く書類上のみならず実質的にも「音大卒程度」に成れたかな,という所。

2,ジャズ/坂本メソードを通し「よくあるジャズピアノのパターン」位は即興で弾けるようになった事と,エバンス・メソードで「ブルースの作曲」ができるようになった。

問題:クラシックの理論を人並みに理解し,ジャズのパターンが弾けるようになった。
  「だから,どうした?」と自問すると「実は大して変わってない!」事を発見。

特にジャズに関しては「初心者」だったのが「中級者」にはなったものの,
「パターンを弾く」以上の事は何もできず,到底,自分が必要とした事ができない。

とはいえ当時はその時点での「成果」に自己満足。
又,漠然と「中級」には達したから,何かの教材を探せば「同じ過程」をもって「上級」に進むだろう,と思っていました。

まぁ,そういう甘いものでもないのですが,取り敢えず1980年代後半当時としては,
ジャズピアノに関しては「 ドシロウト」状態からは脱却できたせいか,
何かと仕事も入り,某メーカー系教室の講師職にも付け,
時々はライブもやったりで「二年間の隠遁生活」を切り上げ,
ボチボチと娑婆に戻った次第です。

かと言って,この時点の実力なぞ「何かを極めれた」訳ではなく,
どころか後年「根本的に間違っていた」事が分かり,再度の「再スタート」を切る必要に
迫られるのですが,そんな事は知らずに自分では一人前のつもりで偉そうにしてた訳です。

(つづく)

音楽の理論と実習 (1)

音楽の理論と実習 (1)

  • 作者: 島岡 譲
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: -



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ジャズピアノ・レッスン/「基礎」とは何か? つづき [レッスン]

最近,「ジャズピアノの基礎を学び直したいのだが」というご相談を頂く機会が増えました。

僕の教室には,ピアノ未経験の方は案外来られませんが,クラシック・ピアノ自体はご経験はあるものの「ジャズ・ピアノやー/ボーカルは全く経験がない,という方が大半をしめます。

更「ジャズのCD一枚持ってないし,ジャズアーチストの名前も全然知らない」という方も少なくありません。故に「ジャズの事は全く知らないけど,習えますか?」との質問を日常頂く訳です。

勿論「大丈夫ですよ。習いつつ,少しづつジャズに親しましょう」とお答えし,実際,それでジャズピアノなりボーカルなりが弾けたり歌ったりできるようになる訳で,結果的にジャズファンが増えます。

逆に「基礎をやり直したい」という方は,何らかの形で「ジャズ(バンド)経験」をお持ちのケースが少なくなく,色々な知識がおありです。尤もが僕からすれば「ジャズ未経験者」も「バンド経験者」も同じ事でレッスン内容も大しては変えません。

結局,僕がレッスンでやってるのは「基礎」なのですが,僕が定めた「基礎」と,他で考える「基礎」とが異なる様で,ご経験の有無や弾ける弾けないに関わらず,同じように「基礎」のイロハから始めて頂く事になります。

つまり「基礎」が大切な事は誰でもご存知ですが,では「基礎とは何か?」を定める事は更に重要且難しい問題だと言える訳です。

*「基礎」を求めて三千里(?)

僕が自身の「基礎」のなさ,つまりは自分の音楽の「インチキさ」に程々嫌気がさし,全ての活動を停止し,「基礎を固める」為に勉強専心したのは二十代半ばの頃でした。

時代は1980年代後半という事もあり,そもそも「ジャズピアノ教室」なぞ滅多になく,適当な先生とのご縁がなかった事で結局「独学」する事になり,その教材として,小山田大宣著「ジャズ理論」上下巻や,坂本輝氏の「輝さんのジャズマスター・シリーズ」を用いました。

「輝さん」シリーズは僕が高校生時分より発売され,色々なシリーズがあり,その全てを買い込み,片っ端から課題を書き,且つ,弾き順に習得した訳ですが,何冊かをやるだけで一二年は有したような記憶があります。

坂本先生とは今に至も直接のご面識を頂く機会がなく,一方的に私淑(?)したような次第ですが,当時も現在もよくある「レコードをコピーするだけ」「市販楽譜を弾くだけ」「理論書を読むだけ」の,僕にいわせれば「三だけ勉強」を廃し,「読む」「書く」「弾く」をバランスさせた「ジャズ勉強法」を提唱され,大いに共感しました。

そもそも「ジャズを勉強する」という発想そのものが画期的というか,現在に至る「ジャズは習う物ではない,慣れるものだ」とか「ジャズは感性でやるもの」等の僕に言わせれば「文盲」連中の戯言を打破した,という点で大影響されました。

例えば「長音階」や「三和音の展開」等の「基礎的な事」も分かっているようで,いざ書いてみると,ちゃんと書けなかったり,思い違いしてたりする訳で,その種のトレーニングを膨大な数の課題とし,順にやる,という事が「感覚で覚える」という「文盲」連中の鼻を明かすようで心地よかった事を記憶しています。

或は学生時代に「怠学」したままになっていたクラシック系の音楽理論を,一からキチンとやり直そう,と高校生時代から習い始めていた音楽之友社「和声〜課題と実習」全三(四)巻を復習しました。

これは高校生や学生時分は「レッスン(宿題)のノルマ」をこなすだけの為に,いい加減にやりましたが,今度は「生活がかかっている」訳で一つの課題に対し複数の解答を書く位に熱心にやりました。

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尤も「輝さんシリーズ」も「和声学」三巻も,僕を「初心者」から「中級」に押し上げる,という点では大いなる貢献をして頂いたものの,どうも或る一線以上は得れない巻があり,ジャズの方は同時期に発売されたリー・エバンス氏による「ピアノ教本」全四巻だとか「クラシックからジャズの即興技法」前五巻,その他の教材を買い込み,こちらに転向。

実はエバンス氏とは後年にあるご縁があり,エバンスの仕事をする事になるのですが,そんな事は夢想だにできないまま,これ又,あるゆる課題を熱心に練習する年月を送ります。

ただし,敢えていえばエバンス氏の教本関係は,実は相当深く高度な事ができるのですが,単に使うだけだと,殆どの指の練習か楽譜書きのトレーニングで終わってしまう,と今でこそ言えますが,当時はそんな事は分からず,正に「表面だけでおわってしまった」状態でした。

むしろ確信を持てたのはクラシックの方で,「和声〜課題と実習」は途中で段々飽きてしまい,高校生時分に別な先生から薦められた長谷川良夫先生著「大和声学教程」をやると「目から鱗」,結局,長谷川ものの「対位法」「作曲法」の全てを独学しました,

勢いづいて,学生時代にやはり「怠学」していたパリ・コンセルバトワールの教材であるヘンリー・シャロンの和声学をやり直し,これは「和声〜課題と実習」と違い,長谷川もの同様に,美しく,深い,「音楽的な課題」が無数にあり,「感性の向上」の点でも大いに貢献したと思えます。

又,これを漸く習得し直せた事で,僕も「書類の上だけ」だった元作曲科学生というプロフィールが,実質的なものと言える自信を持ちました。

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問題は「輝さんシリーズ」〜リー・エバンス教材でジャズ演奏の初歩〜中級を,長谷川ものやシャロンの和声学でクラシック理論の基礎を身につけたといえ,実際には「ジャズの基礎」といえるものが何も身に付いておらず,ジャズ和声によるボイシングひとつできていない,という有様だった事です。

(つづく)
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ジャズピアノ・レッスン/「基礎」とは何か? 大阪梅田KPS音楽教室 [レッスン]

皆さん,こんにちわ。梅田で音楽教室を主宰する僕は,普通だと営業=生徒募集活動に汗水垂らし,或は経費をかけねばならない筈ですが,実は経費も募集営業も殆どかけておりません。

精々,ホームページで告知し,休憩時間に本ブログで何やら好き放題書いてる位が「生徒募集」活動に相当するものの,ご存知の如くブログなぞ「推敲」なしの書き放し,且,よくある音楽教室の宣伝文句にある「楽しいレッスン!」だとか「すぐ弾けます!」だとのクスグリも皆無。

はっきり言って,僕の所でレッスンを受けられたら「確実に上達します!」とは確信してますが,「どなたでも来て下さい!」というよりは「うちは,こんな感じですが,これで気に入ったらどーぞ!」という殿様商売(?)な訳ですが,それでも来た下さる方が少なくなく,感謝しております[晴れ]

これはKimball Piano Salon 音楽教室総体の意見ではありませんが,僕自身のレッスン哲学は「自分が学びたい事を教える」というだけ。

つまり「どうすればピアノの音色が良くなるのか?」「どうすればスゥイングできるのか?」「どうすれば声がよく出るのか?」等々常日頃疑問に思い,その解決を求めている事をヒトにもお伝えしているだけ,の話。

従って「某楽器メーカーの何級の講師資格試験を受けたいのでレッスンしてくれ」なんて言われても,僕自身,楽器屋さんの試験なぞ興味がない,というか,内容も権威も全く認めてないので,「そんなもの受ける暇とお金があったら,ちゃんと音楽の勉強をするか,美味しいものでも食べに行く方が全然いい!」とお断りしてます。

極言すれば,別に「教えたい」訳でなく「自分が知りたい」だけ,且,一応,知り得た事をお伝えしている,とも言えますが,もっと本音を言えば,お教えてする程に「自分がよく分かる」からこの仕事が面白いのですね。

故に「教材」は凄く選びます。

良い例がいつもいうオスカー・ピーターソン著「For young Pianist(日本では「オスカー・ピーターソンのジャズ・ハノン」という悪趣味な題名で翻訳出版されています)」。

これは元々三巻あった本を一冊に合本したとてもお得な本ですが,これの一巻の一番なんて,この13年間で数百回レッスンしてますが,変な話ですが「レッスンする度に自分の理解が深まる」。

そもそも,この本の一曲レッスンするのに一時間位は簡単にかかってしまう訳ですね。

何故って,あらゆるフレーズから「奏法」も「音楽理論」も「リズムやフレージング」もあらゆる事が学べますもの。だから「ハノン」などと同じくし,ただ「指を動かしていればいい」という考え方があるとしたら,そりゃあ「撃沈」するしかないでしょう(笑)。

僕としたは「For Young Pianist」を「オスカー・ピーターソンのジャズ・ハノン」ではなく,いっそ「オスカー・ピーターソンのジャズ聖書」とでも訳したい位。

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さて,レッスン内容について,あれこれ書くのはどうかな?と思えなくもないのですが(要するに自己弁護になるので)時々ご質問を頂く事があり,個別回答しない訳ではありませんが,ご質問によって自分の考えをまとめる,というか,始めて考えさせられる事が多々ありますので,今日もちょっと述べてみました。

テーマは「ジャズピアノの基礎とは何か?」

まず始めにある方から頂いたメールの一部を転載させて頂きます。

「自分が演奏するにあたり、音楽の根本を一から学びたいと考えます。
 今までは譜面を弾いていただけ。上っ面をなぞっているだけで、
 その裏側が理解できていなく、自分の音楽には深みがありません。」

大学時代から、悶々と「基礎」を身に着けなければと思いつつ、
もう、数年が過ぎてしまいました。ここらで、一発ガツンとがんばりたい所存です。」

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このお気持ちよく分かります!

僕も若い頃は「ライブハウスでのジャズ演奏」や「レストランのピアノ弾き稼業」で「活躍(?)」させて貰えても,我ながら何一つとして「本当には音楽ができている」感がなく,だからといって「反省」するような謙虚な人格では全くないにしろ,「このままでは何時かインチキがバレて恥をかくか,失業するに違いない」と毎日がとても不安でした。

物心ついた,というか「演奏業で給料を貰えるようになった」のは恥ずかしながら30歳以後ですが,その際は師匠だかプロデューサーの方針でホテルで弾くような「ラウンジ・ミュージック」ばっかりやるようになり,今に至も似たような状況ですが,若い頃はライブハウスでガンガンやってた訳です。
(ちなみに最近はシンドクなったのでやめましたが,「ラウンジ〜」と並行した近年迄はR&B系の音楽ではガンガンやってました.)

二十代の僕はセシル・テイラー,山下洋輔さんみたいなフリー・ジャズでピアノを叩きまくる演奏の「物真似」をし,ステージで「汗をかかねば」と無理矢理に身体を動かしたり,逆にビル・エバンスを「物真似」し,長く伸ばした両手の中に頭をいれる「瞑想シーン」を演じたり,マル・ウォルドロンだかの「物真似」で自分のソロが終わり,ドラムソロの最中,タバコを吹かしてみたり,と今となっては「とても恥ずかしい」コスプレ・ミュージシャンだった訳です。

問題は「幾ら感動的な演奏をしているフリ」をし,又,自分でも「感動しているつもり」でも,実は「何にも感じてない自分」というのも見いだせた訳です。

「本当は感じてないが,無意識のうちに感じているフリをし,それで自分に酔ってしまう」と聞いて何を想像するかは知りませんが(笑),僕の場合は「タバコ」や「お酒」ですかねぇ。

タバコもピールも学生時代に「大人になった証明」をしたくて呑みましたが「美味い」と思った事がない。当時は餃子専門店だった「王将」で餃子を食べるとか,日本上陸したスゥンセンスで「チョコレートパフェ」だかを食べると「美味しい」と思えたのですが,タバコはビールは「美味そう」に吸ったり飲んだりしたけれども,本当は全然美味しいありませんでした。

それでも止めなかったのは「喫煙や飲酒ができるとカッコいい」という恥ずかしいくらいの「幼さ」でしょう。尤も「こりゃあ美味いや!」と心底思ったのは,二十代の若さにして手を出したパイプ煙草や葉巻。以後「あんな不味いもの吸えるか!」と「タバコ」を廃し,自分も吸わねばヒトが吸ってるのも嫌,尤もパイプは場所を選び,葉巻が金がかかるのでやめましたが…。

或はバブル期やバブルこそ崩壊したがまだ経済が回っていた僕が30歳前後(1990年代初頭)の頃,
高級ワインを飲ませて貰い美味さに驚嘆し,高価ではないが良質な地酒の美味さに認識を新たにし,
以後ワインと日本酒のみ少量頂くという年月を過ごしました。

蛇足ながらウイスキー嫌いが「治った」のは,30歳半ばにして,取引先の社長から「極上のスコッチ」を奢って貰い,その美味さに痺れ,以後,バーで落ち合う度に勝手に「いつもの(極上スコッチ)」を勝手に注文するようになったから。(勿論「いい加減にしろ!」と怒られましたが…)。

ビールも近年になった「地ビール」を飲んで以来,ビールの味わいみたいなものが分かるようになり,今は健康上の理由で殆ど飲みませんが,何とか「アルコールは美味いな」と分かるようになった次第です。

*************
話が脱線しましたが「ジャズピアノ」については,何やら「インプロビゼーション」やら「セッション」を重ねつつ,いわば「本当には美味いと思わなんだが,カッコを付ける為(ヒトから観れば全くカッコ良くないが)に嗜んだタバコや酒」同様,本当には面白い,とは思えませんでした。

思えなかったからどうしたか?といえば,僕の場合,二十代ー半ばのある日,全てが嫌になり「ライブ活動」も「レストランのピアノ弾き」も止めてしまいました。

奇妙な話でずが,全然「インチキ」だったのにジャズというかフリー・インプロビゼーション系の音楽のピアノ弾きとして「ファン」が付き,何と某有名ライブハウスのママさん迄は「ファン」になり,実際にブッキングして下さってましたが,そういうのがツクヅク嫌になったんです。

むしろ「アマチュアで,今,勉強中のF君よ」とでも言ってくれれば宜しかったのですが,ちゃんとしたプロ・ミュージシャンの方々に「ステキなピアノを弾くFさん」とか紹介され,自分の「インチキ」ぶりを熟知していた僕は,ステージではかいた事のない汗(冷汗)を前身から吹き出した次第です。

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それで「ジャズピアノをちゃんと勉強しよう」と決意し,そのライブハウスが経営する音楽教室にて,その「ちゃんとしたジャズピアニストの先生」に習おう,としましたが,ママさん他が「えっ,なんでFさんが習うの?!」とヒトの気も知らずに不思議がるし,先生の方では「あっ君ね,ライブやってるけど,勿論,君がデタラメな事は分かってるよ」とこれは優しく迎えてくれたものの中途半端名なプライドと仕事の都合でレッスンは挫折。

今にして思えば,その時に遮二無二レッスンに通えば良かったのですが,結局,インチキなまま「ライブ活動」を続け,二十代半ばで入学した或る音楽事務所も兼ねる「ジャズピアノ科プロ養成コース」とやらの「売れっ子」として矢鱈仕事が貰える日々に。

そのスクールでは「ジャズは習う物ではない慣れるものだ」「教わろうと思うな,盗め」とそれだけ聴けば尤もらしいお説ながら,実際には何も学ぶ事がなく,しかし「インチキ」だよければ何でも弾けた僕はやたらと仕事が取れて,結構,稼げました。

当時は大卒の初任給が10万円を切った時代,普通のアルバイトが時給五百円で一日4000円位の時代ですが,僕は二三時間演奏すれば安くて5000円,良ければ一万円貰え,毎日どころか昼夜二回仕事がある時もあり,どうにも学生時代以来の「飲めや歌えの放蕩生活」に埋没していった訳です。

そういうのが突然嫌気がさしたのは,確か某ホテルのソロ・ピアノの仕事が入り,週何回は弾き,それが一回一万円だから他の仲間に自慢できたのは良いとして,たまたま客演でOさんという当時の関西ジャズピアノ界の大御所が来られた時。

確かギャラが10万円だったかのは良いとして(僕の十倍),演奏が質というよりは「種類」が違う感じ。
Oさんといえどホテルでの演奏だから軽い「ラウンジ風」で弾き流すのだけで,ハーモニーといい,アドリブの構成といい,どこかで覚えた「パターン」を組み合わせただけの僕とはまるで異質なのです。

それで感じた事は,今のままの自分が同じような生活を十年続けた所で…それなりに人間関係が構築され,仕事も増え,収入も増えるだろうが…果たしてOさんのような「本物のジャズピアノ」が弾けるようには決してなれない,どころか後輩に抜かれ(自分が同種の先輩を駆逐した如く),社会の吹きだまりにでも没落していくだう,と。

つまりは,まだピアノ弾きとして「一人前」にも成らないうちに,徐々に引退への道が示されている事にもの凄い不安を感じました。

且,「不安」以上に大きかったのは「本当には感じれない=音楽が理解できていない」事の苛立と,
ママさん他が「いい」と言って下さり,自分でも「さぞ一人前のピアノ弾き」の面構えながら,
実際には「何一つちゃんとできている訳でなく,インチキ演奏」でしかなく,且,ある種の「感情表現」に反応する「ファン」がいる事の偽善性にどう仕様もなく自己嫌悪を覚えました。

**************************************************
そんな訳で,その事務所の「売れっ子ピアノ弾き」の地位(?)を投げ捨て(というか自然消滅し),
「ライブ」活動他を停止させ,自宅療養ならぬ「自宅学習」に専心する事にしました。

できれば,ちゃんとした先生に師事したかったのですが,Oさん他の大先生に習う手だてが分からず,
或は「ジャズピアノ科」の看板で出かけた教室の,肝心の講師の能力が当時の僕とどっこいどっこいで,逆に「私もどうやってジャズを勉強したらいいのか分からないんです」と逆に相談される始末で,習う訳にもいかず,ここならば大丈夫だろうと潜り込んだ某大手メーカー系「講師養成科」もジャズそのものは誰も分からず,講師資格とやらは貰えたものの,実力は何も変わらず。

結局「独学」での「ジャズピアノ習得」の年月というか人生を二十代半ばにして,始まってしまった次第です。

(つづく)
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